私はAC、旦那はアルコール依存症

父親がアルコール依存症でした。
私はバリバリのアルコホリックチルドレンで、旦那は現役アルコール依存症です。

お休みしちゃいました

2014-08-27 22:06:11 | 私のこと
長々と、ネタもなかったのでお休みしちゃいましたが。
旦那の断酒は続いています。
よかったなぁ。

お休みの間に
アルコール依存症の方が亡くなったり
薬物依存症の方の逮捕されたり
依存症がニュースになるようになりましたね。

もっと「脳の病気」であることが認知されればいいのに・・・と思ったりします。

脳の病気だから、自分の意思じゃ止められないって、知らないとね。

依存症は、家族を壊す病気でもあることを認知してほしいです。

さて、追々ブログも再開していきますか。

また、お時間がある方はお付き合いください。


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旦那が断酒できた訳 その11

2014-06-28 11:49:26 | 旦那のこと
家族会に行くと、帰宅訓練中の入院患者は1日早く家族と帰宅できるのは
前述のとおりです。

家族会が終わって、病棟まで旦那を迎えに行くのですが、
私・・・家族会で泣かずにいられたことがないんです。

まぁ、本人も病気だと自覚できていますから・・・
参加者の皆さんもオカシイと認識してくれたので(たぶん)
声をかけてくださるのですが。
アルコール依存症の家族に育った子供が、こういう症状を起こす(一例)と
少しでも気にしていただければ幸いです。


泣くので、旦那を迎えに行く頃には疲れてぐったりしています。
目も赤いです。

「今日も泣いたの」と聞くので「ここへ来るだけでも、疲れるの。いろんな意味で」と
答えておきました。

普段気が強い妻が、来るたびに泣いているのも
旦那にはこたえたようです。


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家族会のこと

2014-06-28 10:50:19 | 旦那のこと
久里浜医療センターには、入院患者及び退院患者の家族だけが参加できる
家族会があります。

金曜日の午後にあって、その家族会に参加した家族は帰宅訓練が可能な入院患者を
1日早く家へ連れていくことができました。
家族会へは極力参加してました。
私は運転できるので、車で家族会に参加し帰りに旦那を拾って、じみ~に交通費を
浮かせてました。

家族会は「アルコール依存症勉強会」と「家族意見交換会」に分かれています。
勉強会は、正しい知識を得るためのものや、断酒がいかに大変か、
断酒を続けるために家族が支えになりましょう・・・的な話をビデオ学習後、
病院の医師の解説がありました。

結構興味深く、勉強させていただきました。

患者もお酒を断ちたいと思う、ただ患者の意思だけではなかなか止められない。
入院中に患者が学習しても、ちょっとしたことで失敗してしまうこともある。
その時に、どう反省して、もう同じことという、をしないと思うようにするか、
その繰り返しが断酒成功へとつながります・・・という内容のお話は
「断酒ってすんなりできないのかぁ」・・・というガッカリ感をともないながら
聞きました。
やっぱり、1度の入院でキッパリ断酒してほしいというのが家族の心情だよね。


そんなこんな、色々と思いながら「家族意見交換会」へと移るわけです。

こちらは、病棟ごとに班分けして、それぞれ別室で話をします。

病棟の看護師さん数人&師長さんと、時間があれば医師が立ち会ってくれます。

もう、退院して結構断酒が続いている方のお母様(もう70歳オーバー)、
同年代の奥様、社会人のお子様・・・など、今の気持ちを話すわけですよ。
それこそ、本音を言っていいのでイロイロと。

帰宅訓練で戻ってきても、とても不安です。途中で飲まないか気が気じゃありません。
週末に、仕事に行っているので家に一人になってしまいます。いっそ帰ってこないで。
疲れ果ててしまって、本当にこの先退院しても、一緒に暮らすことができない、そんな気持ちになれない。

決して、その場で、その思いに対して回答を出そうというものではありません。
ただ、その気持ちに対して共感したり、うちはこうだったよ・・・とアドバイスしたり
そういう会でした。

その中で、70オーバーのお母様の話と、もう一人、50代の奥様の話が
私の支えになっているので載せておきますね。

<お母様>
うちはもう、退院して10年以上経つし医師からは抗酒剤も飲まなくていいと
言われたけれど、私が安心できるから抗酒剤を続けてもらっています。
断酒も続いているけれど、きょう一日、飲まないでいてくれればいいなぁ・・・という
今日を繰り返して今まで来ました。
今日いちにち、飲まなかったことに感謝して暮らしてます。

<50代奥様>
今まで食事に興味がなかった夫ですが、最近ではお味噌汁を作って楽しんでいます。
具に何を入れようと、話し合っておいしくできると楽しいんです。
ちっちゃなことですが、こうして食事を楽しくできるようになって
それが嬉しいんです。
これからは色々、食べ歩きをしようねと話し合っています。




50代の奥様の話は、この病気にかかっている家族以外には伝わりにくいかな?
注釈しますね。
私の理解ですから
正確な医療知識とは異なるとだけ先に伝えておきます。



お酒で脳をやられていますから(脳が縮んでますね)、一種のアルツハイマー状態だと
思っています。
よく、ボケたおじいちゃんが
たらふくご飯を食べさせていても「うちの嫁は飯も食わせない」とかありますが、
あれをお酒に置き換えてもらうのが、この病気。

あーゆーじいちゃんは、食に異常な執着がありますよね。
夕食後、炊飯器のご飯を全部食べた・・・とか、ありえないものを食べてしまったとか。

たらふくお酒を飲んでいても「まだ飲んでいない」とさらに飲み続ける状態だし
信じられないものを、アルコールが含まれているからというだけで飲んでしまう状態だと
私は思っています。

また、お酒にだけ異常に執着するので食欲が落ちます。
食べれるスペースが胃にあるなら、酒で埋めてしまえ!という感じですね。
痩せている人が多いのは、こーゆーコトではないでしょうか?



ですので、食欲がわくということ、食に興味が出ること、
太ることは喜ばしいことなのです。


うちも薄氷を渡るように、1日断酒したことを確認しながら、
食べ歩きに出かけていますよ(ビンボーだからそれほどいろいろできないけど)


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母のこと その2

2014-06-24 00:03:53 | 父親のこと、たまに母親のこと
母が父と結婚した理由は、「父が会社をおこしたから」。

社長という肩書に惹かれて結婚したんだけれど、
社長なんて誰でもなれる。そういう現実を理解できない甘ちゃんだったわけで。

すぐこの会社は借金まみれになり、父の兄弟と母の親が借金を肩代わりしたのだけれど。
そんなことが理解できるようになるまで、私は父のすぐ上の姉(伯母)に
散々いじめられたよね。
母憎し!の感情をすべて私にぶつける伯母だった。

伯母は美容師だった。
母は七五三の、7歳のお祝いのときに
私の地毛で髪を結うこと、着物を買ってあげることを無理やり押し通したんだよね。

お参りの前日、伯母の家に泊りがけで連れていかれ、
早朝から髪結いと着付けをされたけれど、
その間伯母はいかにお前の母親が見栄っ張りか、とんでもない女かを
ずーっと話していたよ。

私はずーっと泣いていた。

「もういい加減にしたらどうですか?」と、着付けのアシスタントさんが
とりなすまでずっと。


伯母はそれから、ことあるごとに私をお使いに呼び出したね。
母も、自分が伯母と会うのが嫌だから、私にお使いさせたね。

そのたびに、如何にお前のうちにお金を持っていかれたか、
家計簿を突き付けられて説教されるんだ。

あんたたち二人、私に何してほしかったの?小学生の私に。


最後の最後。
父親が病院で死ぬ間際にも、伯母は私を呼び出そうと母に電話で連絡を取った。
母も、私を、私だけを父親の死に目に会いに行くように言ったね。
その当時、父の入院していた中野の病院へは、中野に住んでいる弟のほうが近いし、
母が住んでいる川崎のほうが、私が住んでいる横浜より近いはずだけど。
私にだけ、連絡してくるんだ。

あんたにとって、私って、自分の手足、自分の嫌なことを押し付けるための
子供なんだろう?


最近この時のことを聞いてみた。
なんで、私を病院に行かせたの?と。

「だって伯母さんが、お前を呼べっていうんだもん」。
その時は、私結婚して、もう実家にいなかったし。
「でも、伯母さんが・・・」
呼ぶも何も、、いないんだから無理だと思わなかった?
「・・・」

さらに聞いてみた。
その場に私が居合せたら、私に電話を代わっていたの?
「だってお前、居なかったし」
居たら、電話に出していたの?
「・・・」

母には、子供をかばう・・・と言うきもちはないんだよね。


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母のこと その1

2014-06-23 23:21:01 | 父親のこと、たまに母親のこと
実母のことですが、本当にこの母親のことは
一生許せないと思います。

今、一緒に住んでいますが。

一番初めの嫌な記憶。

小学校にあがったばかりのこと。
お年玉で顕微鏡を買おうと思って、母親に通帳を作ってもらい
お年玉を全額渡しました。近所の文房具店で売っていたそれは、翌年には
買えるはずでした。

何度母親にお願いしても、通帳がもらえす
さらに翌年、ようやく通帳をもらうと全額引き出されていました。

生活費に充てたようですが、それにしても子供のお年玉なんてたかが
知れているのに、しれっとしたものでした。

欲しいものを買うために貯金もできないうちなんだ・・・と
こういうことを何度か経験して知りました。



二番目の嫌な記憶。

社会人になって、少しづつ貯金して旅行券を10万円分、母にプレゼント
しました。
きっと換金して生活費になるんだろうと思ってはいましたが、
喜んで受け取ったのでそれでも仕方ない・・・と思ってました。
数か月後、やはり母親が換金して生活費にしたいと言ってきましたが、
「あんた、換金してきてくれない?」と。




三番目の嫌な記憶。

ずっと公団の団地で暮らしていましたが、父と離婚して、
どうしても持家が欲しかった母は、私にローンを組んで家を買え!と言ってきました。
全く取り合わずに断ると、弟に頼み悪徳不動産の価値のない物件を弟名義で購入。
数年でいたるところが壊れ、修繕もままならず住めない状態に。それでも月々7万もの
ローンを返済していますが、結婚して子供も生まれた弟は、このローンのために
自分の家も買えずにいます。
せめてもの救いは、70過ぎた母親が、文句を言いながらも働いて全額ローンを
支払っていること。
悪いけれど、そんなもんまで肩代わりできないわ。




母という人間は、
自分だけがいつまでもチヤホヤされるべき、かわいいお嬢さんだと
思い続けている人。

自分のやりたいことは、借金してでもするし、
自分の置かれている状況を客観的に見ることができず、
自分の気持ちだけは押し通す。

経済的には母子4人、食べていくだけの稼ぎがあったのに
「離婚はよくない」という思いだけで、子供の気持ちも考えず
父の借金を返しながら、まったく家族として機能していない家庭を維持してきた人。

そんなゆとりがある生活でもなかったのに、
自分の両親が子供を私立高校に進学させたから・・・自分もそうしてあげたい!
という気持ちだけで、私立高校へ通わらせてもらったけど、
ビンボーすぎてクラスで浮いていて、高校のころは友達一人もできなかったよ。

貧乏だ、父親が悪い・・・あれこれ、父の悪口を小さい時から聞かされて、
そんな生活にうんざりして離婚してほしいと言ったら、
「あんたたちがいるから離婚だってできない」って逆切れしたよね。

自分がいかに苦労しているか、悲惨な状況にいるか、
そういうことは言いたいだけ話して、
こちらが正論や確信をつくことを話すとすぐカッとなって、
思いついたままの暴言を言ったよね。

でも、そもそも愚痴を子供に言い続ける親って、どうなの?
自分が話したいことは、どう思われるか考えなく話すよね。今もそうだけど。
子供を傷つける言動も、今は暴力の範疇なんだよ。

確かにあなたが働いて、食わせてもらったし、学校にも通わせてもらいました。
でも、それに見合うだけの暴言も言われましたね。

あんたみたいな女、絶対友達にならないタイプだもん、親だってことが
すでに何かの間違いだよ。
あんただけは、絶対理解できない。この先も。


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