2016年の岩手旅行の話、まだ続きます。

 

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2016年4月。

電動アシスト自転車に乗り、世界遺産・平泉を巡る一日。


「達谷窟」に続き、2つ目の目的地として訪れたのは、こちら。

 

 

 

 

平泉が世界遺産として認定されるにあたり、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡群」として、五か所の寺院や庭園が文化遺産に認定されました。

その一つが、この毛越寺。

 

西暦850年(平安時代)、慈覚大師・円仁により、天台宗の寺院として創建された毛越寺。

 
火災によって一時は荒廃しましたが、奥州を支配する藤原氏によって再興されると、:境内には多くの伽藍(建物)が建てられ、寺院としての最盛期を迎えます。
 
しかし、その後も火災に見舞われたり、戦国時代の戦火に巻き込まれ、ほぼ全ての伽藍を焼失してしまいました。
江戸時代は仙台藩の保護を受けますが、建物の大半は修復されないまま、その礎石だけが残された遺構が現代まで残されています。
 
明治時代になって、ようやく現在の寺院の建物が建てられ、境内が整備されました。
 
 

 

現在の本堂は平成元年に再建されたものですが、堂内に祀られている御本尊・薬師如来は平安時代に彫られたものです。

 

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平安~鎌倉時代に全盛期を迎えた頃の遺構が残っているのは、現在の本堂の前から横道に入っていった先。
 
 
 
室町時代までは、ここにあった南大門が寺の正門でした。
西暦1573年に火災で焼失してからは、12個の礎石だけが残されています。
 
 
西暦850年(平安時代)、慈覚大師・円仁により、天台宗の寺院として創建された毛越寺。
 
そのあと、火災によって一時は荒廃しますが、奥州を支配する藤原氏によって再興されると、多くの伽藍(建物)が建てられ、寺院としての最盛期を迎えます。
 
しかし、その後も火災に見舞われたり、戦国時代の戦火に巻き込まれ、ほぼ全ての伽藍を焼失してしまいました。
江戸時代は仙台藩の保護を受けますが、建物の大半は修復されないまま、その礎石だけが残る遺構として現代まで残されています。
 
 
奥州藤原氏が夢見た浄土世界をイメージして造られた「浄土庭園」。
 
東西180メートル、南北90メートルにも及ぶ「大泉ヶ池」を大きな海に見立て、出島や小島、築山、洲浜などが配置されています。
 
 
 
 
 
のんびりと「大泉ヶ池」の周りを歩きながら、復元された伽藍(建物)や、かつて伽藍があった跡地を巡っていきます。
 
最初に訪れたのは、開山堂。
 
 
毛越寺を開いた、慈覚大師円仁を祀った堂宇。
 
堂内には慈覚大師の像に加え、藤原氏三代の画像も据えられています。
 
 
現在は芝生の空き地になっているスペースにも、かつては多くの伽藍が建ち並んでいました。
 
 
 
 
幸運にも天気にも恵まれ、緑多い景色の中を歩いていると、不思議に心が穏やかな気持ちになってきます。
 
 
江戸時代、仙台藩主の武運長久を願って再建されたのが「常行堂」。
 
 
堂内には本尊である阿弥陀如来と四菩薩、奥伝には秘仏である摩多羅神が祀られています。
 
守護神である摩多羅神は、地元では古くから作物の神様として信仰されているそうです。
 
 
 
常行堂の近くには、中心の「大泉ヶ池」に水を引き入れる水路の役割を果たす「遣水」が。
 
 
 
大泉ヶ池が「海」ならば、そこに水を送る遣水は「川」。
 
曲がりくねった水路に合わせて、様々な石組みがされています。
 
 
 
 
この遣水は、平安時代から残る遺構としては日本唯一のもの。
 
毎年、新緑の季節になると「曲水の宴」が開かれ、平安時代の雅な服装に身を包んだ人々による儀式が行われます。