昨日に続き、2016年に訪れた岩手旅行の話を。

 

旅行の話、丸々「下書き」のままで放置していました(笑)。

 

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2016年4月。

 

岩手に丸一日以上滞在したのは、学生時代に訪れた時以来なので、もう20年以上も前の事になります。


今回、私が訪れたのは、ご無沙汰していた「空白の期間」のうちに世界遺産にまで登録された平泉


 

かなり昔に一度だけ訪れた記憶はあるのですが、その時は歴史に全く興味がなく、知識も全く無かったので、何を見て何を感じたのか、全く覚えていません。

 

 

いい歳の大人になった現在では、この平泉という場所の歴史的価値も分かるようになりました。

平安時代、この地を支配する奥州藤原氏によって大いに栄えた平泉には多くの寺社・仏閣が立ち並び、よく整備された街の様子は、京の都にも肩を並べる程だったとか。

それから800年以上経った現在でも、栄華を誇った時代の寺院や庭園、遺跡などが数多く、良い状態で残されています。

そして、2011年、「仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡郡」として、五ヶ所(五資産)が世界遺産に指定されました。

「浄土」というのは、いわゆる仏様のいる死後の世界の事で、何の争いもない平和な世界。
そんな理想の世界を現世でも実現する事を街作りのテーマとして据えて、奥州藤原氏は平泉の街を作ったそうです。

まあ、私はそういう思想とか宗教的なものには関心が薄いのですが、建築の美しさとか歴史的な価値には興味があるので、今回は一日がかりで平泉の街を観て回る事にしました。

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数年前なら徒歩で回る事も苦に思わなかったのですが、ここ最近、ちょっと体力に不安を感じつつあるので、今回は生まれて初めてのレンタサイクルを利用してみようと決めていました。

ここ数年、バスや飛行機や電車は飽きるほど乗ってきましたが、自転車は本当に久しぶり。
そもそも現在の我が家に自転車が無いので、日常生活でも乗る機会が無いのですが、これまで旅先でもレンタサイクルを利用した事は無かったので、もう5、6年はブランクがあります。

という事で、久しぶりに自転車に乗るにあたって、2つの不安がありました。

果たして、私の身体は、ちゃんと乗り方を覚えているのか。

そして、身長180センチ台、体重三ケタに迫る私の巨体に耐えられるだけの丈夫な自転車は借りられるのか(笑)。

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そんな私の心配は、単なる思い過ごしに終わりました。
 

 


数年のブランクなど全く関係なく、無事に街を駆け抜けていく自転車。

レンタサイクルの受付で「一番大きくて丈夫な自転車をお願いします」と頼んだら、そこに置いてある中で一番大きな自転車を貸してくれました。

今回、生まれて初めて電動アシスト付き自転車に乗りましたが、これに乗ってしまうと、もう普通の自転車には戻れそうもないですね。
ほとんど力を入れずに軽く漕くだけなのに、ビックリするような加速力。
急な坂道でも、まるで平地を走っているかのようにスイスイ登っていけます。
 
我が家にも一台、買っちゃおうかなぁ・・・。

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レンタサイクルの受付でもらった観光マップに従って、順番に史跡を巡っていく事にしました。

一番最初の目的地である「達谷窟」までは、平泉の駅から自転車で片道25分。

・・・自転車で25分?
こんなの、知らずに歩いて行ったら、途中で干からびて倒れちゃいそうです(笑)。
とりあえず、自転車を借りて大正解でしたね。

 

 


全く人影は見えず、自動車も10分に1本くらいしか通らない道を、ひたすらギコギコとペダルを踏んで走り抜けていくオッサン。

「徒歩25分」と見た時から大変な道のりになる事は覚悟していましたが、想像していた以上に長い・・・。

初めて走る道だけに、あとどれくらい走れば良いのか分からず、「あれっ、おかしいなぁ・・・」という不安ばかりが頭をよぎってきます。

「もしかして、途中で道を間違えたのか・・・」
そんな疑問も浮かんできますが、そもそも正しい道を知らないので、どれだけ考えても正解が見つからないまま、ただ黙々とペダルを踏んで前に進むのみ。

いつしか足腰に疲れが溜まり始め、額や背中にはジットリと汗が滲んできました。
結局、歩いても、自転車で走っても、途中で干からびて死にそうになるのが、最近の私(笑)。

息も絶え絶えになり、ヘロヘロと蛇行しながら走っていると、ようやく観光マップに書かれていた名所の一つに辿り付きました。

 

 


ほとんど景色が変わらない状況が続いていただけに、いきなり目の前に現れた、明らかに異質な存在の巨岩石です。

私の乗ってきた自転車と比べると・・・


 

 


一応、私の自転車も、レンタサイクルの中では大きな部類に入るんでけどね(笑)。

この巨岩の名は「鬘石(かつらいし)」といいます。

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平安時代、「悪路王」という男を中心とした盗賊達が、この周辺を縄張りにしていたそうです。

悪路王達は、貴族や金持ちの家から美人の娘を誘拐すると、次々と自分達のアジトに連れ込んでいました。

悪路王達に監禁される生活に耐えかね、何人もの娘達が逃げ出そうとしましたが、途中で捕まり、連れ戻されてしまいました。
そして、見せしめの為に、女の命ともいえる黒髪を切られてしまったそうです。

切られた娘達の黒髪は、巨大な岩の上に並べられました。
大量の黒髪が岩の表面にまとわり付く様子・・・そこから「鬘石」と名付けられました。

これには別の説もあるそうです。

捕まった娘達は殺され、首をはねられて川に流されてしまいました。
その首は川の下流にあった岩に辿り着き、黒髪は岩にまとわり付きました。
そして、次々と殺された娘の首が流れ着き、岩にまとわりつく黒髪は増えていって、いつしか人の頭のように見えてきて・・・
こっちの方が、ちょっと怖い話ですね(笑)。

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「鬘石」から少し離れた場所にあるのが、「姫待瀧」


 

こちらにも、悪路王の伝説に関わるエピソードがあります。

遥か遠くの京の都まで遠征していった悪路王達は、貴族の娘である「ゆり姫」を誘拐すると、この川の上流にある岩窟に監禁していました。

悪路王達の隙を見て、何とか逃げ出そうと試みた姫でしたが、この滝で待ち伏せしていた悪路王達に捕まり、再び捕らわれの身に戻ってしまいます。

すなわち、「姫を待ち伏せしていた滝」という事で、「姫待瀧」と呼ばれている訳ですね。

その後、花見の宴を開いた悪路王達が酔っ払ったのを見計らい、再び逃亡を図った姫は、京の都から助けに来た武者達と合流して、京で待つ親の元へと無事に帰る事が出来たそうです。

悪路王達の乱暴狼藉ぶりは、京の都にいる帝の耳まで届くようになり、坂上田村麻呂を中心とした遠征軍が派遣されます。
「東国の蝦夷を征討する将軍」という意味の「征夷大将軍」に任命された田村麻呂の率いる征夷軍によって、朝廷に対する反抗勢力は次々と鎮圧されていき、悪路王も討伐されてしまいました。

悪路王を討ち取った田村麻呂は、その勝利を神仏に感謝する為、悪路王達がアジトにしていた岩窟に、軍神である毘沙門天を祀る堂を建立しました。

その毘沙門堂がある岩窟というのが、この日の最初の目的地である「達谷窟」です。


 
 
 
「鬘石」の前を去ってから、更に自転車で走る事、10分程度。
 
最初の目的地なのに、もはや1日の体力を使い果たしたかのような気分で到着です(笑)。
 
ここまでの道のりでは誰一人として会う人がいなかったのに、駐車場には多くの車が並んでいました。
 
どうやら、普通の人達は自家用車で来る場所のようで、自転車で来るような奴は私一人だったようです(笑)。
 
 


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