Wednesday 6 February 2019

死への恐怖とアルツハイマーと瞑想と

これは、全く科学的根拠も医学的根拠も何も無い、
ワタシの純粋な想像による個人的な考えです。

でも、この頃ワタシ、思うんです。
アルツハイマーって、神様がくれた最後のプレゼントなのかもしれない。
死の恐怖から解き放ってくれる、神様の思いやり。

なので、アルツハイマーになる人って、もしかしたら、
死ぬことをめちゃくちゃに恐れていた人なのではないかと。

まあ、この仮説は立証のしようがありません。

だって、アルツハイマーになっちゃった人に、
「あなたは死ぬのが怖かった?」って聞けないでしょう?

まあ、聞けない事はないだろうけど、なんとなく聞きにくいでしょう。


ただ、ワタシは思うのです。

アルツハイマーって、もちろん本人も辛いと思うけど、
家族にとって、ものすごくつらいものです。

だって、自分の大切な人を、少しずつ失っていくわけですから。

大切なモノを少しずつ失うって言うのは、とても残酷なことです。

少しずつ失って、本当にもう残りがほんのわずかになった後に、
その人を現実に、物理的に失う。

なので逆に、実際になくなった時のダメージは少ないかも知れません。

そして、本人にとっては、、、
ワタシが想像するに、アルツハイマーとは、
本人にとっても「少しずつ死んでいく」
という感じなのではないでしょうか?

毎日少しずつ、自分が自分である時間が減っていって、
そのうち、まったく自分でなくなってしまう。

そうやって、少しずつ自分を失う事で、
死への恐怖から逃れることができるのでは?

アルツハイマーになる事は、赤ん坊に戻るようなものだと、
たとえられることがあります。

死ぬ間際、何も知らない、何も分からない赤ん坊に戻ることで、
死の恐怖から逃れるのです。

なので、死に対する恐怖が大きい人ほど、
アルツハイマーになる可能性が高いような気がするのです。

なんとなく。


夫(ミャンマー人)は、ミャンマーの修行僧で
アルツハイマーになった人の話を聞いたことがないと言います。

なので、彼らの食生活や午後に断食をする生活習慣が、
アルツハイマー予防になるのでは、と推測しています。

でもワタシとしては、彼らが日常的に瞑想している事に関係があると思うのです。

瞑想することによって、精神が死の恐怖から解き放たれているのでは。
だから、死を前に、赤ん坊に戻る必要がないから、
アルツハイマーにはならない。

死の恐怖から自由になるのは、並大抵の努力でできることではありません。
でも、死はいつかやってくくるものです。

瞑想することによって、少しでも心の準備ができるなら、
ワタシも瞑想を始めてみようかなあ、と思うのです。

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