Friday 16 August 2019

日本語は、論理的思考に不向きな言語だと思う。

実はワタクシ、けっこう言語オタクなのです。

日本語が母国語ですが、普段の生活は英語ですし、
大学は外国語学部で、英語ではない西欧言語を専攻していたし、
何を思ったか、ミャンマー人と結婚してしまったので、
少しミャンマー語もかじったりしています。

なので、4つの言語について、少しばかりの知識があるのですが、
そんなワタシは、常々思っているのです。

日本語は、非論理的な言語である。

文学、とくに短歌や俳句、詩などの創作にはとても向いていますが、
論文のように、理論を積み上げていく文章を書くには向いていない。

論理的な文章と書くには、英語の方がずっと向いていると思うのです。

先日、ネットで憲法二十七条についての記事を看かけました‘。

憲法二十七条とは、

〔勤労の権利と義務、勤労条件の基準及び児童酷使の禁止〕

を定めた条項です。

~~~~~ (衆議院ウェブサイト、国会関係資料、日本国憲法より抜粋) ~~~~~

第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。
~~~~~~

これ、難しいですよねえ。

ワタシは、日本語が母国語だから分かるけど。

これ、例えば、日本語を学んでいる英語話者が読んだら、
すんなり理解できるのでしょうか?

この条項には、助詞の「は」が3回使用されています。

1行目の、「すべて国民、」
2行目の「基準、」
2行目の「児童、」

まず、1行目の「すべて国民、」で使われている「は」は、
主語を示す「は」ですよね。

「勤労の権利を有し、義務を負ふ」の主語は、国民です。

これはまあ、簡単。OK!

では、2行目の「基準、」はどうでしょう。
「法律でこれを定める。」という文が筒いていますが、
「法律でこれを定める。」の主語は、「基準」ではありません。
むしろ、この文での「基準」は、「法律でこれを定める。」の目的語になります。

では、この「は」は何なのか?かというと、
これは topic maker、 すなわち、話題を紹介する際に使われる「は」であります。

では、「法律でこれを定める。」の主語は誰かっていったら、
この文では、全く明示されていませんね。
行間を読めっていう事なのか、常識で判断しろという事なのか。

まあ、「法律を定める」人達っていうのは、一般的に議員さんたちなので、
国会議員や地方議会議員が、暗黙に想定された主語でしょう。

では、3行目の「児童、」は?

これも、「これを酷使してはならない。」の主語は「児童」ではありません。

この文では、「児童=これ」であり、「児童、」の「は」は、
上記に同じく、topic maker の「は」です。

「これを酷使してはならない。」の主語も、明示されていません。
常識で判断する事を求められています。

ここではおそらく、雇用者が、暗黙に想定された主語でしょう。

日本語の文章って、こういう風に、
主語を明示しないで文が成り立ってしまうんですよ。

そして、主語を明示しないまま議論を進めていくと、
知らないうちに、主語をすりかえることが可能なのです。

そんな風に、文章のなかで主語を明示することなく、
暗示されている主語が、知らないうちにあっちに行ったりこっちに行ったり
しているようでは、文章全体がなんとも曖昧なものになってしまいます。

しっかりとした論理の構築ができるわけありません。

しかし日本に於いては、そんな文章が、「日本語としてこなれた」
「読みやすい文章」とされているのです。

逆に、学術論文などは、誤解を避けるために主語を明示する傾向にあり、
その為、どうしても翻訳調の、読みにくい文章になってしまいます。

なぜ、我々日本人が、翻訳調の文章を読みにくく感じるかといういうと、
日本語を母語とする日本語話者は、普段の言語活動のなかで、
主語を意識していないからだと思うのです。

英語で話す時は、逐一、主語は何かと頭の片隅においています。
特に主語が特定できない場合は、 they を使うか、受動態にします。

英語では、be 動詞や、一般動詞の三単元のsのように、
主語によって動詞の形が変化しますが、これが日本人はとても苦手。

なぜなら、普段話す時に、主語のことなんて考えてないから。

この特徴は、俳句や詩など、芸術の分野ではとても有効に働きます。

主語を明示しないことによって、言外に深い意味を含ませたり、
二重の意味を持たせたりできるのです。

そういう意味で、日本語はとても感覚的、感情的に美しい言語だと思います。

でも、それが時折、逆効果をもたらすのです。

日本語で話すと、論理をぶっとばして、感情的になりやすい。

国会とかで議員さんが議論したりするには、あまり向いているとは言えませんね。

ビジネスにも、あんまり向いてない。

日本の大企業などで、社内公用語を英語にしている会社がありますが、
各個人の言語の習熟度によるコミュニケーションの不具合はおいといて、
試み自体は、とても良いと思います。

ビジネスにおけるコミュニケーションは、日本語よりも英語でやった方が、
誤解なく円滑に進むと思うのです。


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