頭木(かしらぎ)弘樹編訳の「絶望名人カフカの人生論」(新潮文庫)。
カフカが日記やノート、手紙に書いたネガティブな本音の言葉を集めたものである。
悲しいときには悲しい音楽を
これは音楽の話ですが、ギリシャの哲学者で数学者のピュタゴラス(ピュタゴラスの定理が有名)は、心がつらいときには、「悲しみを打ち消すような明るい曲を聴くほうがいい」と言いました。
これを「ピュタゴラスの逆療法」と言います。現代の音楽療法でも「異質への転導」と呼ばれて、最も重要な考え方のひとつです。
一方、ギリシャの哲学者アリストテレスは、「そのときの気分と同じ音楽を聴くことが心を癒す」と主張しました。つまり、悲しいときには、悲しい音楽を聴くほうがいいというのです。
これは「アリストテレスの同質効果」と呼ばれています。現代の音楽療法でも「同質の原理」と呼ばれて、最も重要な考え方のひとつです。
両者の意見は、まっこうから対立しています。
でも、じつは両方とも正しいことが、今ではわかっています。
どういうことかと言うと、心がつらいときには、
(1) まず最初は、悲しい音楽にひたる=アリストテレス「同質の原理」
(2) その後で、楽しい音楽を聴く=ピュタゴラス「異質への転導」
というふうにするのがベストで、そうすると、スムーズに立ち直ることができるのです。
って、どこにもカフカが出てこないじゃないかって。いや、これは“はじめに”、つまり序文なわけです(ここでもこのあとカフカは出てくるんだけど)。
私が言いたいことは、私は“同質の原理”と“異質への転導”という言葉を、ここで初めて学んだってこと。
たとえの歌が古すぎてごめん
編訳者がここで想定しているのは、暗いタッチの歌-たとえばカルメンマキの「時には母のない子のように」を聴いたあと、楽しい歌-たとえば「世界の国からこんにちは」-を聴くような状況に思われる。
その点、クラシック音楽なら1曲で事足りるので便利だ。
チャイコフスキーの第4交響曲とかベートーヴェンの第5交響曲(運命)なんかは、暗から明へ推移する。チャイコの方は明というよりも、どんちゃん騒ぎだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番なんかも、すすり泣き→ちょっぴり立ち直りって感じで効果ありかも。
30分や40分程度じゃ気分が変わらないという人には、大盛りサイズのベートーヴェンの第九やマーラーの第5か第7がお勧めである。
まちがっても、チャイコフスキーの第6番「悲愴」なんぞを選んではなりませぬ。気分が高揚してきたとたんに、終楽章で手のひら返しにあうので。マーラーの第9番もそう。
逆にそんなに時間をかけてられないという忙しい現代人のあなたには、シベリウスの「フィンランディア」なんかどうかしら?(←いきなり誰だよ?)
そんなわけでいま取り上げた曲の中から、ではなく、ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-75 ソヴィエト)の交響曲第6番ロ短調Op.54(1939)。
3つの楽章からなり、全曲の長さは30分弱。だが、重苦しく暗い、いや不気味とも言える第1楽章が全体のほぼ半分の長さを占める。
第2楽章になってユーモラスになり、終楽章はズンチャッズンチャッのすっかりお元気モード。というよりは、おちょくってんのか?ってものになる。
聴き終わったあと、立ち直っているか、それともやれやれと感じるかは、あなた次第。
ヤンソンス/オスロ・フィルの演奏を。
1991年録音。EMI(現行盤はワーナー)。
ところで、カフカのどのようなネガティヴな言葉が本書で紹介されているのか?
2つだけご紹介しておこう。
ぼくはひとりで部屋にいなければならない。
床の上に寝ていればベッドから落ちることがないように、
ひとりでいれば何事も起こらない。
× ×
ぼくは、ぼくの知っている最も痩せた男です。
体力はないし、夜寝る前にいつもの軽い体操をすると、
たいてい軽く心臓が傷み、腹の筋肉がぴくぴくします。
確かに一概には言えないでしょうけどね。Limeさんは今(一時帰国することがそうなんでしょうけど)つらい精神状態にあるんでしょうから、単純に音楽で癒されるって話じゃないと思います。
比較するのは不謹慎ですが、高校生のころ失恋したときに立ち直ることができたのは幻想交響曲でした。それは自分をふった相手を忌まわしいものと見なしてしまったわけです。大学の時にふられたときは、マーラーの9番をひたすら聴きました。同情してくれるような音楽を求めたからです。が、立ち直るってような感じではありませんでした。
MUUSAN
がしました