「Tora5rouのブログ」総集編(熊本2・福岡2) | Tora5rouのブログ

Tora5rouのブログ

Tora5rouの備忘録として日々の出来事をまとめ、地域・旅・園芸・料理… の情報を発信いたします。 記事中の太字の部分は関連情報をリンクしてますのでクリックしてご覧下さい。

総集編の続きです。 詳しい記事はリンクサイトをクリックしてご覧下さい。 諸事情により売りを検討していたトラ五郎小屋のある土地はイトーピア湖畔別荘地と関係深い(株)白橋工務店さんに売却依頼しました。

 

 

2014九州の旅(天草・福岡)B


2014九州の旅(阿蘇・熊本城)の続きです。9/5 14:41熊本駅発の観光列車「特急A列車で行こう」に乗車。三角港から松島までシークルーズして天草に行く計画。切符は前日博多駅で購入しました。熊本城見学後バス「しろめぐりん」で熊本駅に行き、らん蘭熊本駅店でラーメンとチャンポンを注文。白濁した豚骨スープは超濃厚でビールも一緒に飲みました。食事を終えホームに行きましたが予定時間になっても列車が来ない。おかしいと次に来た普通列車の車掌に聞くと「特急A列車で行こう」の乗車位置は同じホームのずっと前方で既に出発していたことが判明。そして他に2名の女性客も乗れずにいたことが分かりました。車掌にも言いましたが、放送でしっかり案内してくれればよいのに。大変残念でした。特急列車は座席指定でしたが乗った普通車では始めから座れ、私は居眠り。サクラさんは窓の外の景色がとても良かったと言ってました。三角駅に到着すると円錐型の建物と桟橋がすぐ側にありました。15:47 シークルーズに乗船。港を出ると天草5橋の1号橋(天門橋)が見えました。やがて東大維橋の下を通り2号橋(大矢野橋)が見えました。一番下の写真はふり返って見た東大維橋(形式:鋼吊橋、橋長:380.0m、完成:1975年)。後方の山並みが九州宇土半島、左島が野牛島、右島は維和島です。維和島は1905年に全国で初めてクルマエビの養殖が行われた島。このクルマエビは今でも町特産となっています。

 

 

 

4号橋(前島橋)の下を通過し上天草市松島温泉に到着。16:11前回のツアーでは食事をした天草パールセンターが見え、天草四郎像と与謝野 寬・与謝野 晶子の歌碑前で写真を撮りました。
 天草の島のあひだの夕焼けに 舟もその身も染みて人釣る
 天草の松島ここに浮かぶなり 西海のいろむらさきにして
別の場所には上天草市特産品の模型(タイ、黄金のはも、わたりがに、くるまえび、真珠、梅肉ポーク、ポンカン、天草大王:シャモや熊本コーチンなどを原種とする大型の地鶏)が並び、観光客を出迎えてくれました。送迎バスに乗りホテル竜宮に到着。入浴を終えると窓から薄い雲間に日没前の太陽が輝いていました。17:54 部屋に夕食が運ばれてきました。 写真上から 旬の地魚五点盛り(サザエ、タイ、白身魚、蛸、ウニ)、渡り蟹、蛸の柔らか煮、冷製鯛素麺、車海老のおどり喰い、鮑の陶板焼き、天草大王(鶏)の香草揚げ、地魚の荒炊き。この他に天草季節の前菜、雲丹真蒸の茶碗蒸し、海鮮炊き込みご飯、魚アラのお味噌汁、バニラアイスが出ました。車海老は蓋の付いた陶製の器の中で蓋を飛ばす勢いでバタバタ暴れ、鮑も生きたまま火にかけられました。島が多く海岸線が複雑なこの地区は魚・鮑・サザエ・海老・蛸… の宝庫だということを実感。夕食中に太陽は赤味を増し 18:34 完全に沈みました。
9/6 ホテル内レストランでバイキングの朝食をとりホテル周辺を散策しました。9:00 ホテルをチェックアウト。9:34 天草パールラインの前島停車場から熊本交通センター行きバスに乗車しました。車内は座席が4列の観光バス仕様。車窓から天草富士とも呼ばれる高杢島(138.5m)が見えました。この島の頂上には金毘羅神社が祀られていて、引き潮の時には樋合島と砂洲で繋がり歩いて渡れるそうです。九州に渡り宇土半島北岸に行くと「日本の渚百選」・「日本の夕日百選」に選定される御輿来海岸が望見されました。有明海は干満の差が日本一で、潮が引いた時、海岸の砂地には風と波により美しい曲線美の砂紋(砂干潟)が現れます。11:09 熊本駅着。九州新幹線つばめに乗り博多に向かいました。座席は2列・3列で乗り心地は良かったですが外の景色は殆ど防音壁に囲まれていて見られませんでした。博多駅に着くと駅ビル内のレストランで玄海膳をいただきました。
昼食後検討の結果大濠公園に行くことにし地下鉄に乗車。14:43 公園前に到着しました。大濠公園は福岡城の外濠で、入り江でもあった草香江をもとにした大きな池が特徴的な公園です。池を貫くように柳島、松島、菖蒲島が橋でつながっています。水路沿いの径を歩くとボート置き場があり、観月橋を渡ると柳島には赤い手摺りの浮見堂があり、サギをすぐ近くで見ました。池の南側を歩いていると童謡の歌詞が書かれた石板を見かけ、長い石塀が連なっている所がありました。14:20 バリーフラナガンの「三日月と鐘を跳ぶ野うさぎ」の彫像が入口に置かれた福岡市美術館に到着しました。福岡城は 関ヶ原の合戦での論功行賞により、筑前52万石の大名になった黒田長政が1601から7年がかりで築城した城です。黒田長政が筑前国主として入城した名島城は三方を海に囲まれ、後背地も狭く、大国経営の拠点としては不向きでした。そこで新しい城と城下町の建設場所として選ばれたのが、博多の西隣、福崎でした。この地には、古代太宰府の鴻臚館がおかれ、対外交渉の中心地でしたが、当時は荒地に近い寒村であったため、大規模開発が可能でした。城の特徴は梯郭式平城で、徳川幕府への遠慮から天守は造築されなかったとされます。天守台、本丸、二の丸、三の丸と櫓47棟を構え、規模(総面積約80ha、内堀の周囲約4.7km)は熊本城を凌ぎ、モデルは朝鮮の普州城であるといわれています。1873 廃城令発布により存城処分となり、陸軍の連隊が駐屯。城郭建物のほとんどが失われ、城跡に現存するのは、潮見櫓、多門櫓、石垣、内濠などとなりました。現在の城跡の大半は舞鶴公園となっており、平和台陸上競技場などのスポーツ施設があります。
福岡市美術館では9/2~28で2014年NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送記念として特別展を開催していました。 黒田官兵衛(1546~1604)は織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下取りの行方に大きな影響を与えました。 1589 長政に家督を譲り、1590 には小田原攻めで北条氏を降伏に導きますが、1593 文禄の役(朝鮮出兵)で秀吉の怒りを受け、死を覚悟した官兵衛は、出家して如水と名乗ります。1600 関ヶ原の戦いの年には九州の地で戦乱を鎮め、太平の世の実現に貢献。1604 伏見で死去しました。
 人生はなるにまかせて、水の如し 思いおく 言の葉なくて
 ついに行く 道は迷わじ なるにまかせて   (辞世の句)
江戸時代に筑前藩主であった黒田家から福岡市美術館に寄贈された大名道具は、保存状態が極めてよく、きらめいていました。特別展を見た後喫茶室で栗ぜんざい・塩昆布をいただき、サクラさんは膝痛のため待っていてもらって、私は日本庭園(65才以上は無料)を見てきました。館を出ると建物の周りに箱根彫刻の森美術館を連想する彫像が並んでいましたが、草間彌生の「南瓜(かぼちゃ)」は迫力がありました。美術館を出た後は舞鶴公園を散策。平和台陸上競技場はありましたが、かって福岡市民を熱狂させた、西鉄ライオンズの本拠地平和台球場は鴻臚館跡展示館になっていました。西鉄ライオンズは1954年のリーグ初優勝から黄金時代が始まり、豊田泰光、中西太、大下弘、稲尾和久らを擁したチームは1956~1958年に読売ジャイアンツを下し日本シリーズ3連覇を果たしました。西鉄ライオンズはその後西武ライオンズになり、本拠地を埼玉県所沢市に移転。1988南海ホークスがダイエーに譲渡され、本拠地を大阪球場から平和台球場に移転。球団名も「福岡ダイエーホークス」にかわり、1993福岡ドームが完成で球場の使命を終えました。2005ソフトバンクがダイエーの保有していた球団株式と興行権を取得。福岡ドームの使用契約を締結し「福岡ソフトバンクホークス」がスタートを切りました。16:52塩見櫓を見た後地下鉄で福岡空港に戻りました。夕食に豚骨スープの博多ラーメンを食べ、20:00発のJAL332便で帰路につきました。
半世紀ぶりの友に会え、天草では美味しい海鮮料理をいただき、福岡では黒田家のきらめきの大名道具を拝見。心配された台風にも遭うこともなく、良い旅ができました。ブログ記事をまとめるのにインターネットを利用し情報の収集・確認をしましたが、熊本城と加藤家、福岡城と黒田家については、これまで知らなかった歴史上の事実を知ることができました。

 

 

ブログの廃止とトラ五郎小屋の売却につて

現在投稿している「Tora5rouのブログ」は私をとりまく諸般の事情により、現在投稿中の総集編終了をもちまして、幕を閉じたいと思います。 そしてテレビドラマ「北の国から」に登場する五郎さんの石小屋に魅了され、情熱を傾けて建設した、トラ五郎小屋のある伊豆の土地も手放すことを決意しこの度(株)白橋工務店さんのHPに売却記事をUPしました。 その他詳細は「toragorou88の生活 」をご覧下さい。