「Tora5rouのブログ」総集編(奄美大島3) | Tora5rouのブログ

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Tora5rouの備忘録として日々の出来事をまとめ、地域・旅・園芸・料理… の情報を発信いたします。 記事中の太字の部分は関連情報をリンクしてますのでクリックしてご覧下さい。

総集編の続きです。 詳しい記事はリンクサイトをクリックしてご覧下さい。 諸事情により売りを検討していたトラ五郎小屋のある土地はイトーピア湖畔別荘地と関係深い(株)白橋工務店さんに売却依頼しました。

 

 

 

2014奄美大島の旅C


「Tora5rouのブログ」総集編(奄美大島2)の続きです。奄美大島南部の瀬戸町古仁屋港から加計呂麻島へは瀬戸内町営フェリー「かけろま」が1日に瀬相港へ4便、生間港へ3便運行されています。この他に海上タクシーがあり、今回のツアーでは2隻の海上タクシーを利用しました。12:35 海上タクシーは古仁屋港を出港。12:50 加計呂麻島生間港に到着しました。島内は小型の加計呂麻バスで巡りました。運転手さんが観光ガイドをし、島の生活についても沢山話してくれました。加計呂麻島は面積が77.39 k㎡、人口約1400人ですがハブや猪は人よりも圧倒的に数が多いそうです。ハブは温かくなると道路にもよく出てくるため、島の人は道の真ん中を歩き、見つけるとこれを退治するための竹竿がいたるところに立てかけてありました。バス運行中もハブを見かけると停車し、運転手がこれを捕獲。1匹4000円で役場が引き取ってくれるそうです。諸鈍に着くとバスに乗ったままデイゴ並木の下をゆっくり走り、映画「男はつらいよ」に使われたリリーさんの家も窓越しに見ました。バックで諸鈍の駐車場まで戻り下車。長浜海岸を散策しました。沖合に請島が見え、手前に岩礁があり、海は波が少なく湖のようでした。
諸鈍は壇ノ浦の戦いで敗れ落ち延びた 平 資盛 一族が居城を構えたと伝えられます。諸鈍集落は国指定重要無形民族文化財に指定され、「諸鈍シバヤ」という村芝居が伝承されています。映画「男はつらいよ」ロケ地の記念碑がありました。男はつらいよ全作品覚え書ノート 第48作「寅次郎紅の花」- 吉川孝昭を見ると、映画のシーンが鮮明に思い出されます。バスに乗りスリ浜に行くと、ここにも記念碑がありました。ブログ「こころゆったり島時間」や「奄美大島 ダイビングライフ」を拝見すると加計呂麻島の生活や奄美の素晴らしい海中の様子を知ることが出来ます。

 

 

 

14:18 加計呂麻島東端安脚場戦跡公園に残存する弾薬庫跡と金子手崎防備衛所跡を見学。1941 海軍によって砲台として整備された防備衛所の屋上からは大島海峡を一望することができました。15:25 呑之浦の 島尾敏雄文学碑 前に到着。寒緋桜が咲いていました。島尾敏雄(1917~86)は死の棘を書いた作家。1944年 震洋特攻隊隊長として加計呂麻島に赴任しました。15:35 特攻艇震洋基地跡を見学。瀬相港から海上タクシーで奄美大島の古仁屋港に戻りました。
16:17 古仁屋からバスに乗り58号線を北上。18:20 奄美リゾートばしゃ山村に到着しました。宿泊ホテルの部屋に荷物を置いた後、島おこし市場前に集合。民俗村の村長宅に案内されました。直径30cmのお椀に郷土料理を入れたものを食べながら島唄を聞きました。食事が終わると村長から挨拶があり、参加者全員に右手中指にはめる赤い指飾りとソテツの葉で作った髪飾りが贈られました。そして全員これを付け前庭に出て、手踊りを楽しみ、お開きとなりました。

私のブログ名は寅さんとTVドラマ「北の国から」に登場する五郎さんから付けました。五郎さんゆかりの地の記録は思い出の北海道旅行Lに投稿しました。今回加計呂麻島が寅さんのロケ地であったことは行って初めて知り、投稿記事も寅さん情報をかき集めて書きました。3日とも天候に恵まれたのは何より幸いでした。加計呂麻島は人口が年々減少し、夏は台風が一番勢力が強い時来襲。ハブが多いとのことですが、自然に恵まれたとても素晴らしい所でした。

 

 

ブログの廃止とトラ五郎小屋の売却につて

 

現在投稿している「Tora5rouのブログ」は私をとりまく諸般の事情により、現在投稿中の総集編終了をもちまして、幕を閉じたいと思います。 そしてテレビドラマ「北の国から」に登場する五郎さんの石小屋に魅了され、情熱を傾けて建設した、トラ五郎小屋のある伊豆の土地も手放すことを決意しました。 その他詳細は「toragorou88の生活 」をご覧下さい。