先日お亡くなりになった野村克也氏。
 
超一流の打者であり、超一流の捕手であり、超一流の監督であり、超一流の解説者でした。どれ一つとっても抜きんでた実績です。ましてやこれらを全て満たすような人は他に見当たりません。今後、このような人は出てこないでしょう。
 
しかし、野村克也氏は、これらの偉業にも増しておよそ誰にも真似できない偉業を成し遂げています。それは、あの稀代の悪女野村沙知代を妻とし、死ぬまで添い遂げたことだと思います。
 
一般社会の尺度で見れば、野村沙知代というのは、とんでもない悪女ですが、野村克也(以下敬称略)は生涯、彼女を悪く言うことなく、時には庇い、時には持ち上げ、そして愛し続けました。誰が真似できるでしょうか。
 
もし、沙知代が野村克也の妻ではなく、野に放たれていたらとんでもないことになっていたでしょう。例えば中小企業の社長夫人にでもなっていたら、その企業は夫人の介入により無茶苦茶にされ、多くの従業員は路頭に迷うことになっていたでしょうし、極道の妻にでもなっていれば犯罪の限りを尽くしていたかもしれません。野村克也の妻であったからこそ、その傘の下で、脱税程度の犯罪ですんだのです。
 
野村沙知代の悪しき噂は、野村克也が南海を解任される前後から週刊誌などで流布されていましたが、しょせん週刊誌ネタなどどこまで本当かわかりゃしない、と当時の私は思っていました。例のミッチーサッチー騒動のときも中年女性同士の醜い争いだなあ、程度の認識でした。
 
しかし、これはどうやら本当に野村沙知代というのはとんでもない女性らしい、と思い始めたのは、血縁者から暴露本が出されたときからです。しかも、実の弟(信義氏)と実の子供(野村克彦=ケニー野村)です。利害関係にあったとか、男女間のもつれとか、金がらみとかで暴露本が出るのはよくあることですが、血を分けた弟と子供から暴露されたのです。しかも財産分与がらみとか損害を被ったとかいう個別の事例が元になったというわけではなく、ただ野村沙知代の所業が許せない、放っておけないというだけの動機なのです。こんなことあり得ませんよ、普通。
 
私は当時、この暴露本を両方とも読みました。既に記憶は薄れていますが、これらの本の内容には、野村沙知代に対して、憎らしい、許せないという気持ちが先行しているためか、類推と想像によって沙知代の悪行が増幅されているのではないかと思われる部分も多くありました。例えば信義氏の本では、沙知代が米軍相手のパンパンだったと断定する部分がありますが、それは幼少の信義氏が当時の沙知代の身なりと米軍兵士と腕を組んで歩いているのを見たことなどによる類推であり決めつけに過ぎず、決定的な証拠というか材料が書かれているわけではありませんでした。(可能性は否定できませんが。)
 
しかし、そのような想像・類推を除外して、両氏が実際に耳にし目にしたことをそのまま記述した部分だけを見ても相当な悪行を重ねてきた女性だということがわかる内容でした。
 
野村克也が南海を解任された理由は「公私混同」です。当時、沙知代とは不倫の状態で婚姻関係にはありませんでしたが、その沙知代が監督室に入り込んだり、スタッフに対して選手起用に口を出したり叱咤したり、やりたい放題で選手の士気が著しく損なわれたというのです。
 
これに対し、野村克也は、そんなことはあり得ないと主張していました。というのも、初対面したとき沙知代は野球のことなど全く知らず、「雨の日は仕事が休みで、監督というから工事の現場監督かなんかだと思っていた。そんな沙知代が野球の現場に口を出すはずがない」と言っていました。どうやら野村克也氏は当時、本気でそのように考えていたようです。
 
そして、なぜそんなあり得ない理由で解任されたかを悶々と考えたあげく、「これは鶴岡元監督と、それを取り巻く連中の陰謀に違いない」という結論に至り、記者会見で「私なりにいろいろ考えましたが鶴岡元老にぶっとばされたと考えております」という発言につながったと思われます。
 
鶴岡親分を愚弄したということで、これ以降鶴岡一派(国貞、広瀬、杉浦、穴吹、大沢など)の反感を買い、葬式にも出席しないほど敵対し続けることになるわけですが、野村克也氏は近年になってやっと沙知代の悪業が事実だったらしいことに気が付いたようで「どうやら私の知らないところでコーチや選手に電話をかけ叱ったりしていたらしい」と発言しています。
 
しかしそれを責めることも咎めることもなく、「それもこれも私を愛していたからだろう」と述懐していますが、とてもそのような美しい話ではないでしょう。
 
そもそも野村克也氏に「自分は社長令嬢でコロムビア大学に留学していた」と大嘘をついて近づいています。おそらく野村が南海の監督で有名人だということも事前に調べて知っていたでしょう。そして野村が野球以外の世間に無知なことも見抜いて、金目当てで籠絡したというほうが真実に近いと思われます。
 
こうしてまんまと沙知代に凋落された克也氏ですが、ここから運命が大きく変わってきます。
 
南海時代までの野村は、自ら、その反骨心と努力により大選手としての地位を築いてきました。ぼやくことはあっても、それは身内やチーム内で心を許した人に限られていたし、朴訥で堅実な人柄で苦労人らしく日の当たらない裏方さんや控え選手にも目配りできる人として有名でした。
 
沙知代と一緒にならなければ南海を解任されることもなく、彼の記録はもう少しのばせていたでしょう。王の記録は無理としても、張本の3000本安打以上の記録は残せていたかもしれません。
 
そして南海がダイエーに身売りした後も最大功労者として処遇され、監督としても成功していたでしょう。反面、マスコミにとりあげられる頻度も今よりは小さく、多くの敵を作ることもなくパリーグの大選手、監督として、地味に野球人生を終えたかもしれません。例えれば西武の森監督とか巨人の川上監督のような存在になっていたでしょう。没後に教え子と呼ばれる人たちがこぞってコメントしそれがマスコミに連日取り上げられることもなかったかもしれません。
 
しかし、南海解任以後は沙知代の影響を大きく受けるようになり、実力はあっても地味な存在だったのが、マスコミに取り上げられる頻度は大幅に増え、知名度が上がる反面、多くの敵、アンチを増やしていくことになります。
 
現役引退後、沙知代が次々ととってくる仕事を黙って引き受け、こなしていく過程で朴訥で堅実な野村の喋り口が徐々に饒舌になっていきます。ボソボソぼやく程度だったのが悪口にも近い発言に変わっていきます。マスコミへの露出も増えました。
 
それはヤクルトの監督になって顕著になって行き、マスコミによって増幅され、アピール力が増す反面、多くの敵を作ることにもなりました。
 
一方、野村氏が監督に復帰したことにより、マネージャーとしての仕事もなくなり時間を持て余した沙知代は、自らTV出演し、醜態を晒すようになりました。自身は何の取り柄もなく、ただ野村の妻というだけなのに、その傍若無人な物言いが一部にウケてレギュラー番組まで持つようにもなりました。ファンの多くは女性でした。
 
いつの時代にも話す内容にかかわらず「男に向かって言いたいことをズバズバ言い、やりこめてしまう」というだけの女性を、胸をスカッとさせ留飲を下げるという理由でもてはやす層が一定程度存在します。この手の層が田中真紀子、辻元清美、蓮舫などを担ぎ上げたのでしょう。
 
これにより野村沙知代は傍若無人ぶりに拍車がかかり、有名なミッチーサッチー騒動が起きました。皮肉なことに全国的にはそれほど知名度が高かったわけでもない女剣劇浅香光代はこれにより女剣劇とは縁もゆかりもない人にまで、その名を知らしめることになりました。
 
そして極めつけは阪神監督時代の脱税です。野村の資産管理はすべて沙知代によって行われていたので、脱税も野村克也氏のあずかり知らぬところで行われました。このことが明るみに出るきっかけというのが沙知代の先夫との子ケニー野村の告発だったというのですから大笑いです。ケニー氏は、沙知代の脱税の証拠を残すため電話の内容を録音までしていたそうです。
 
これにより野村克也は阪神の監督を解任されました。南海に続いて二度も妻の悪業により監督を解任されることになったのです。
 
しかし、ここでも沙知代は悪びれることもなく元気だったし、克也氏のほうも沙知代を責めることも悪くいうこともありませんでした。世の中にこんな亭主がほかにいるでしょうか。見事というほかありません。
 
       あっぱれ!
 
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野村沙知代の著書「きのう雨降り 今日は曇り あした晴れるか」
野村沙知代がいかに良妻賢母であるかを書き記したエッセイ。第四回潮賞の特別賞を受賞している。おそらく文章はゴーストライターの手によるものだろう。
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この本にある沙知代の経歴。コロンビア大学卒業というのはもちろん虚偽。
知識人であると錯覚した人も多いだろう。もちろん克也氏も。
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本田靖春氏もべた褒め。見事に騙されたものです。
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