食育・知育、生活と消費税-生きる活力が「生活」で、消費税は活力を奪う税制【ヤンの字雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、ヤン様の寄稿コラムです!

 

政治人気ブログランキングも絶好調のヤン様が、食の話題と絡めて消費税廃止を主張されており、日本中の主婦の方々が、このコラムを読めば、消費税廃止の声が一気に広がると思うのは私だけではないでしょう。

 

女性の読者様で、主婦層が多く訪れるサイト、掲示板などをご存知でしたら、そこで今回のヤン様寄稿コラムのURLを貼って宣伝してくださいませ。

 


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食育・知育、生活と消費税-生きる活力が「生活」で、消費税は活力を奪う税制【ヤンの字雷】

食育という教育の本質

 昨今、子供を育てるときに食育という言葉が使われて久しいと思います。逆にいえば「食育」として意識しないと、我が国の食事環境が子供にとってまずい環境になりつつあるという事実の裏返しであると思われます。

 食育という言葉の定義をググってみました。

食育(しょくいく)とは、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てることである。2005年に成立した食育基本法においては、生きるための基本的な知識であり、知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの、と位置づけられている。単なる料理教育ではなく、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化についての総合的な教育のことである。

この言葉を造語した石塚左玄は、食品の与える影響に関する独自の説によって、子どもに食べさせる食品の影響によって子どもの心身を養うという意味で用いた。(Wiki)

 

 健全な食生活の定義とはなにか?一応食に携わっていたもの、そして現在も自炊などを通じて携わっているものとしては、ジャンクフードなどはできるだけ取らない、インスタントよりもしっかりとした食事を。そして野菜をしっかり取る、などが挙げられると思います。

 栄養学的にジャンクフードやインスタント食品がそこまでまずいのか?と言われれば「知らん」としか答えません。それ以前の問題だからです。栄養学だけを守るのならばぶっちゃけ、プロテイン(タンパク質)、カーボ(炭水化物)、ファット(脂質)に合わせてミネラル、ビタミン、カルシウム、鉄分などをサプリで摂取すればよいだけです。

 しかしそれらをサプリで摂取するのが健全な食事なのか?と問われると、私は「健全ではない」と主張するでしょう。

 何故か?それらのサプリメントで体が維持できたとしても、大地に根ざさない食事なんぞ食事ではないと思うからです。

 

 ・・・というか単純に「生きるためだけの栄養摂取」より「豊かで楽しい食生活」のほうが健全に決まっている、というのは食に携わったものとしてはあまりに自明の理なのです。

国民に欠如してきた生活の知育

 世の中はどんどん便利になります。スマホでアレヤコレヤとほとんどのことができますし、PCだってそうです。洗濯物は洗濯機に入れてボタンを押すだけで乾かすところまで行くようですし、掃除だってルンバだかなんだかのロボットがやってくれる時代です。

 食事はコンビニやスーパーにお惣菜を買いに行って済ませられますし、松屋、吉野家、マクドなどで安くも済ませられます。

 

 はてさて、その生活は「豊かで楽しい」と言えますでしょうか?私にはとてもそうは思えません。

 生活とは「生きる活力」と書きます。楽しみを失くして生きる活力が湧いてきますでしょうか?ただ単に生命が維持できる、心臓が動いていることを「生活」と勘違いしてませんでしょうか?

 

 上記はディスカバリーチャンネルのザ・秘境生活という番組でエドという外人が、裸一貫で秘境でサバイバルと生活を試みるというものです。彼の水を確保できたときの、火を確保できたときの、そして獲物を獲ったときの表情というのは非常に示唆的です。まさにそこに生の活力を感じる表情です。理屈なんてどうだって良い!と思わせる表情であります。

 

 昨今、消費税増税が取り沙汰されておりますけれども、小難しいズレた理屈を練りに練って「消費税増税は仕方がない!」という論調を見かけますけれども、消費とは「生きるための活力の維持に必要なもの」ですから、これに罰則、懲罰をするとはすなわち「生きるための活力を奪う行為」に他なりません。

 エドを見てください。せっかく取れた獲物の10分の1を奪われたら、きっと非常に悲しそうな顔をすることでしょう。

 

 なぜ生活の活力を奪うような消費税に、大して反対の声が上がらないのか?食育やまともな食事をしていない子供に、健全でない食事を与えても不満が出ないように、もはや日本人の「生活」は健全ではないのではないか?との疑義が拭えません。生から活力が失われているから、反対の声が小さいのではないか?と思ってしまいます。

 とするのならば食育と同様に、「生活」の知育が必要なのではないか?と思います。

 

 また生活が苦しくなる「消費税」なる税制は、「国民の生きる活力を奪う税制なのだ」としっかりと認識していただきたいと思います。

 国民の生きる活力よりも、政府の財政健全化とやらのフィクションが大事な方はどうぞ賛成してください。きっとそのような方たちは「生きる活力」という抽象的な概念なんぞより、目に見える政府の国債発行額のほうが大事なんでしょう。

 つまりそれは「おいしい食事」は「高ければうまいはずだ」と思い込んでいる、情報と金を食う「バカ舌」と同じなのですが、一生気が付けないことでしょう。

P.S

 美味い、価格が高いに相関関係はあっても、因果関係としては「美味い→高い(傾向がある)」であり逆は成り立ちません。高くても不味いもんは不味いんです。フランス料理のランチで前に1人前7000円のランチを食べましたけど、途中で席を立ちました。美味しくなかったのですもの。

 だから逆に安いけど美味いは成り立つわけでもあります。おふくろの味は高くないけど、美味しいでしょ?

 

 我々庶民が活力を維持するのに「食」は欠かせないものと思います。「安くて、でも美味い」ものを見つけられるのも、庶民の食生活の醍醐味ですが・・・それに税金かけるとかふざけとるのかと思いません?悪徳領主も真っ青の税制です。

 断固として、消費税なんてゼロパーセントでええやん!と主張しなけりゃならないと思います。

(了)


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