投資と貯蓄の意味を誤解しないように詳しく考える | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、零細応援様の寄稿コラムです!

なんとっ!零細応援様から緊急寄稿を頂いております!

かなり面白いコラムですので(経済学的に)、ぜひぜひじっくりお読みいただくことをおすすめ致します。

※途中の数式は私(ヤン)は超苦手でして・・・(笑)でもこのコラム、面白いと思うのです!

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投資と貯蓄の意味を誤解しないように詳しく考える~ 零細応援様

投資と貯蓄の意味を誤解しないように詳しく考える

 投資と貯蓄の定義についてもう少し整理しておきたいと思います。この整理をするときは、GDPで取り扱われる投資と貯蓄という用語と、日常生活で使われる投資と貯蓄という用語の関連付けも同時に行う必要があります。
 まず、支出面のGDPで、「生産=消費+投資」と表される場合における、生産、消費、投資がそれぞれ何を意味しているかということについて考えます。
 「生産」は消費財やサービスを生産したという成果を意味しています。このときの生産者は一般的に企業と呼ばれます。ここでは、個人や個人商店も生産者という意味で企業に含みます。
 企業は生産するときに、生産設備と仕入費と人件費に支出します。支出した時点(生産の準備段階)では、その瞬間、生産設備と仕入費は他人(他の企業)から買い取って社内に残っていて、人件費も他人(管理者や労働者)から労働力を買い取って社内に残っていると見なされます。
 この段階の支出を一般的に初期投資と思ってしまいますが、ここではその言葉を使わない方が良いと思います。なぜなら、企業は商品が売れていくと日常的に設備の維持管理費・仕入・人件費支払などの支出(追加投資)を行っているからです。これらもすべて商品となる前の投資です。この追加投資も商品を作るためのもので初期投資と意味は同じになるのですが、初期投資という言葉ではこの追加投資までをも含むことが出来ないからです。ですから、ここで、商品になる前の段階の支出を表す言葉として、「原投資」という用語を用いたいと思います。
 冒頭で、「生産」は消費財やサービスを生産したという成果を表していると言いましたが、企業が「原投資」をした段階で、成果はすでに企業内に設備・仕入・労働という形で発生していると見なされます。なぜなら、設備・仕入・労働は商品が作られる前の段階ですが、商品が作られる前とはいえ、あとは時間的経過によって化学反応を待てば良いだけのものとしてそこに存在していると考えられるからです。
 ゆえに、「生産=消費財やサービスを生産したという成果=原投資」。よって、「生産」とはすなわち「原投資」を意味しています。「生産」=「原投資」。
 ただし、生産のGDPは「GDP=付加価値」とも、「GDP=生産」とも、「GDP=生産-仕入」とも表されますが、これは、一つの企業について「付加価値a1=生産b1-仕入b2」とすると、このときの仕入先の企業については「付加価値a2=生産b2-仕入b3」、n回先の企業については「付加価値an=生産bn-仕入b(n+1)」となり、全ての企業の付加価値を合計すると、「GDP=総付加価値=a1+a2+・・・+an=(b1-b2)+(b2-b3)+・・・+(bn-b(n+1))=b1-b(n+1))となります。最後は最も小さくなり、b(n+1)→0となりますから、b1-b(n+1)=b1となります。
 a1+a2+・・・+anは総付加価値、b1は最初の企業の生産ですから、「GDP=付加価値」、「GDP=生産」とも書くことが出来ます。
 だから、「生産」=「原投資」というときは、「生産」は総付加価値を意味し、「原投資」は仕入を含んでいます。また、「原投資」によって生産された商品の原価には仕入された部品や電気などの仕入費、設備減価償却費等が含まれています。「GDP=生産=原投資」というときは、上記の計算からも分かるように、生産には仕入のみならず購入された生産設備そのものも含まれます。
 企業はいよいよ商品を生産します。生産によって、「原投資」は「企業内残存投資」と「商品」に分割されます。「企業内残存投資」は当期減価償却後の設備、保有技術、経営システムの全要素などが含まれます。
 生産された商品は販売されますが、売れ残ったものは在庫となります。だから、販売によって、「原投資」は、「企業内残存設備」、「在庫」、「売上」に分割されます。
 そこで、「企業内残存設備」と「在庫」を「企業内残存投資」と呼ぶことにします。
 今までの説明を、支出面のGDPにおける「生産=消費+投資」に当てはめると、原投資が「生産」、売上が「消費」、企業内残存投資が「投資」にそれぞれ該当します。
 ケインズが「投資」の定義を「企業内残存投資」としました。このときまで、投資という言葉はいろいろな意味に使われていました。これまで説明して来た原投資(初期投資や追加投資)という意味にも使われていたし、生産設備の持主の移動に過ぎない証券取引も投資と呼ばれていました。しかし、それではGDPの議論をするときに混乱が生じるために、ケインズが「投資」の定義を「企業内残存投資」であるとしたのです。そのときに、それまでの経済学者の誰からも何の対案もなく、むしろ、愚の根も出なかったのです。
 次に、GDP、所得、生産(原投資)の関係を考えて見ます。この「所得」は個人所得を指します。
 生産(原投資)は企業が行います。(生産を行う者を企業と定義したのですから当然です。)
 個人は労働者として所得を得ますが、これは企業からの支払であり、すべて「原投資」の中に含まれています。だから、支出面のGDPにおいては、個人は消費者としてしか見られません。
 また、生産(=原投資)は全ての個人所得を生み出します。だから、「生産(原投資)=所得」です。
 例えば、生産設備および仕入(水道光熱費などの一般管理費を含む)については、仕入先企業に支払われた貨幣は、すべて仕入先企業の株主配当、役員報酬、賃金という個人所得に分配されます。企業内残存投資とは企業の保有する資産のことですから、これも株主の所有となり個人所得になります。賃金は労働者の個人所得です。だから、すべて個人所得になります。
 たまに、経済の議論の中で「企業の所得」という表現が用いられることがありますが、これは企業の売上もしくは付加価値もしくは純利益などを表しています。しかし、「GDP=所得」と言うときの「所得」は個人所得のみを表しています。ここのところの用語の用いられ方については、それが何を指しているかに注意する必要があります。
 これで、GDP=所得=生産(原投資)という等式が確認されました。
 そして、所得は「消費」と、消費に使われなかった「貯蓄」とに別れます。生産(原投資)されても、消費されないで残っているものが企業内残存投資となります。ケインズの「投資=貯蓄」を理解するためには、この企業内残存投資が、国民全体の貯蓄行為になっていると考えれば分かりやすいのではないかと思います。つまり、使われなかった分です。国民全体の貯蓄行為は、個人の一人一人にとっても貯蓄行為です。
 「原投資」で全ての所得、全てのGDPが完結するのですから、各生産主体の決算報告書のどこを合計すれば「原投資」が得られるかを考えれば良いことになります。それは、企業の減価償却後の設備その他の資産すなわち「企業内残存投資」の今期増加分と、今期の売上すなわち「消費」の合計で求められます。売上の中に利益が含まれていますが、利益は原価としては他人の損失になっており相殺すると0になりますから、利益と損失の調整は無用です。
 ちなみに、誰かの支出は誰かの所得というフレーズが流行っていますが、これは常にGDPに反映されるわけではありません。GDPに反映される取引は、企業(生産者)が個人に売った場合にしか成り立ちません。例えば、酒屋から個人Aが酒を買い、個人Bに転売しても、この転売はGDPに反映されません。
 GDPはあくまで国内で生産された価値を表そうとするもので、生産は「原投資」でしか量れないので、「原投資」をどのように抽出するかだけが問題なのです。
 企業の決算書を見ても、そこに書かれてあるのは「企業内残存投資」と「売上=消費」だけです。「原投資」そのものはすでにいろいろなものに変化していますから統計の取りようがありません。そこで、消費はすでに生産されたものが消費者の手に渡ったものということに着眼して、「企業内残存投資」と「消費」の合計がGDPであるという計算になっているのです。(政府サービス生産もGDPになります。公共投資がGDPになる理由は、民間企業が道路や橋などを生産したからです。)
 また、消費を集計して生産量の算出に役立てたいだけですから、取引の同時性などは関係ありません。「原投資」をしたときにすでに生産は完了し、所得への分配も終わっています。売れなければ在庫になるだけで、在庫となったときにすでにGDPにカウントされているので、消費になる必要はありません。「支出=所得」となる瞬間とは、すでに「在庫=所得」となっているものが「消費=所得」となる帳簿上の書き換えが行われる瞬間というにすぎません。
 では、私たちが日常的に言っている「貯蓄から投資される」という言葉の意味はどうなるかについて考えます。
 これまで述べて来た生産、所得、消費、投資、貯蓄というものは、全てGDPの話です。GDPの話とはフローの話です。
 「貯蓄から投資される」と言う場合の貯蓄はストックという意味で、上で述べたフローを意味する貯蓄(行為)とは意味しているものが異なります。だから、この混乱を避けるために、GDPに表される貯蓄を「貯蓄行為」、すでにストックされている貯蓄を「貯蓄残高」と呼ぶことにします。「貯蓄残高」は、今、貨幣がどこに貯蔵されているかという意味に過ぎません。
 この「貯蓄残高」は、例えば、明日使われるとします。しかし、それは明日における、「貯蓄行為」(フロー)ではなく、それはあくまで支出(原投資または消費)です。そもそも、分配面の「貯蓄行為」は、支出面では「原投資-消費=企業内残存投資」で計算された「企業内残存投資」で表され、「貯蓄行為」は記録されません。また、「貯蓄残高」から引き出されたという行為もまた支出面のGDPには記録されません。
 だから、「貯蓄残高」(ストック)から引き出され支出されたときに、支出面のGDPにはいきなり支出(原投資または消費)だけが表れ、それが分配面のGDPにおいて所得としてカウントされるのです。
 また、「支出面のGDP=消費+投資(企業内残存投資)」においては、その支出が原投資であった場合は、その瞬間、「投資(企業内残存投資)」が増え、GDPが増えます。その支出が消費であった場合は、その時点では投資(企業内残存投資)が減っているだけで、まだ投資(企業内残存投資)の追加が行われていませんから、その瞬間のGDPは増えません。
 たまに、「貯蓄から消費が行われる」と言うと、経済通ぶって、貯蓄は消費されなかったものなので、貯蓄から消費が行われるというのは間違いだと言う人がいますが、普通に、貯蓄から消費は行われています。財布の中のお金も貯蓄の一つです。そういう人の方が、むしろ、「貯蓄行為」(フロー)と「貯蓄残高」(ストック)の区別が行われていなくて、頭が混乱していると言うべきでしょう。
 ちなみに、「貯蓄残高」から「原投資」が行われたり、消費が行われたりしても、乗数効果が発生する貨幣の回転をしているときも、その裏では「貯蓄残高」として同額が存在し続け、増えも減りもしません。民間の取引だけでは、それが設備投資であろうと、消費であろうと、証券取引であろうと、「貯蓄残高」は変化しません。
 ただし、政府支出や信用創造が行われたときはその分だけ「貯蓄残高」が増え、税収で「貯蓄残高」が減ります。また、国債の発行「貯蓄残高」だけでは「貯蓄残高」は増えも減りもしませんが、政府支出が行われた段階で「貯蓄残高」が増えます。お気づきと思いますが、「貯蓄残高」はマネーストックを指しています。

(了)


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