グローバリズムとバベルの塔伝説の物語の奇妙な共通性【ヤンの字雷】 | 進撃の庶民 ~反新自由主義・反グローバリズム

本日は、ヤン様の寄稿コラムです!


グローバリズムとバベルの塔の共通性に目が行くヤン様の才能に脱帽です。

 

話がやや逸れますが、本コラムを拝読後、ここまで世界中でグローバル化が進んだのは、お金増殖の為に過激なグローバル化を推し進める連中に、「おててつないでみんななかよく」の人権派左翼がまんまと利用されちゃったのではないかと。

 

移民政策も両者大賛成ですからね。

 

そんな人権派左翼にこう言いたい。

 

「仲良くしたいから適度な距離を保つ」

 

それではヤン様コラムをどうぞ!

 

 

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グローバリズムとバベルの塔伝説の物語の奇妙な共通性【ヤンの字雷】

伝説とは何なのか?

 日本にも様々な神話や伝説があり、世界にもまた伝説や神話が存在します。学者の中には「奇妙なことに、世界で共通する伝説が存在する」として、本当にその伝説はあったことではないか? と研究する学者もいるようです。

 例えば――ドラゴン(龍)なんかは世界共通で伝説の生き物とされており、もしかしたら恐竜の生き残りがいたのでは? などと想像すると、楽しいですね。

 

 本日は少し真面目に、そして少しストーリー性に富んだことを書こうと思っています。そう、グローバリズムとバベルの塔の伝説が、じつに奇妙な一致点が存在することについてです。

バベルの塔の伝説

 バベルの塔は誰しも聞いたことがあるのではないでしょうか? おおよそは、こういう物語です。

 太古の人々は世界中の言葉が共通でした。人々は一箇所に集まり、レンガとアスファルトで天にも届く高い塔を建設しようとします。旧約聖書の創世記11章によると「人間があらゆる地に散って、消えることのないように」という目的で作ったのだそうです。

 神はこの塔を見て、人々の言語をバラバラにしたため、人々は塔作りをあきらめて各地に散ったという伝説。

 

 細かいことをいいますと、旧約聖書では「神が塔を破壊した」という記述は出てこないとのこと。一般的には「天にも届く塔を建設したことに、神がお怒りになって言語をバラバラにした」と解釈されます。

グローバリズムとバベルの塔伝説の奇妙な共通点

 日本でも現在では小学校から、英語教育が行われるのだそうです。大変に愚かしいことだと思います。

 グローバリズムが進むと、共同体や伝統、文化、慣習の破壊が起こります。なにせ、それらはローカルなものですので。

 とすると……? 日本語だって”国”語(土着言語)というローカルなものなので、グローバリズムが進めば進むほどに、破壊されるに違いありません。

 

 またグローバリズムは人口の一極集中を促します。東京一極集中もそうですが、イギリスの産業革命もそうだったでしょう。

 極端な都市化と、言語破壊――まるでバベルの塔の伝説を見ているようではありませんか? バベルの塔伝説では、人々が集まり共通語を喋っておりました。

伝説のもう1つの意味

 伝説とはしばしば、教訓として残されることもあるようです。現在オカルトとして囁かれるアトランティス大陸は、じつはソクラテスの弟子のプラトンが寓話として残したものだそうです。これ、わりと本当。

 

 バベルの塔の伝説が教訓ではない、と誰が言えるでしょう? 旧約聖書のヘブライ語正典の成立は1世紀頃なのだそうです。この頃、ヨーロッパはローマ帝国の帝政(紀元前27年頃~)時代でした。

 ローマ帝国と言えば広大な地域を支配した、人類最初のグローバリズムと解釈も可能です。また現代では再現できないアスファルトを使用していた、ともいいます。

 もしかしてバベルの塔伝説は、ローマ帝国のグローバリズムへの戒めとして書かれたのかも知れません。

人間より上位存在を認識するかどうか? が道徳かも知れない

 共同幻想という言葉が存在します。これは日本の吉本隆明という思想家が、生み出した言葉のようです。ナショナリズム、宗教、道徳なども共同幻想で成り立っているとする解釈も可能です。

 日本風に言うのならば、バベルの塔建設は天をも恐れぬ所業であった、と表現可能でしょう。西洋風に言えば、神をも恐れぬ所業であると言えます。

 

 道徳とは唯一、人間の本能の欲求に抗える”人間の心の精神性”と解釈できるのではないでしょうか? システムやルールは”外側”であり、抗うというより従わせるでしょう。知性も使いようによっては、悪魔のような手段になりえます。

 現に、現在のエリートたち――特にアメリカに顕著ですが――は金儲けのためにしか、知性を使わないじゃないか! というわけです。

 彼らは、本当に神を信じているのか? 私にはポーズに見えます。

 

 人間の本能とは美味しいものを食べたい、より豊かな暮らしをしたい、金持ちになりたい、良い服を着たい、人によく思ってもらいたい、と様々にあります。

 資本主義ではただ1つ。利潤の追求こそ正義であり、それを達成すれば様々な本能的欲求が満たされるとされます。――もちろん成功すれば、ですがね?

 

 しかしこの様々な欲求が、些細な庶民のものであるうちはまだしも、富の独占にまでつながるのは行き過ぎでしょう。キリスト教では富を罪過とすら見なすこともあるようです。

 

 グローバリズムの行き過ぎは、道徳の欠如が招いたと表現しても過言ではありません。キャピタリズムマネーが踊る――マイケル・ムーアでもこの点を徹底的に、「なんて非情で、やるせないんだ!」と追求しております。

 これはある種の、道徳を忘れ、人情を忘れ、金の亡者に成り下がった原子論的個人の富裕層の”傲慢”とも解釈可能です。

 人間以上の存在はいない! 神も存在しないし、お天道さまだって見てない! 地獄? 天国? 生まれ変わり? そんなものがあるわけ無いだろ! というわけです。

 

 まさにバベルの塔を伝説と一緒だと思いませんか? 何より重要なのは、バベルの塔伝説が最終的には言語をバラバラにされて、ローカルに戻るということ。

 そしてそれは――少なくともローマ帝国後においては、現実になりました。ヨーロッパでは宗教革命で土着言語――国語、農民が話せる言葉――化が行われ、ラテン語(貴族御用達のヨーロッパ言語)はその地位を失ったのです。ローマ帝国分断からさらに、1500年ほどかかりましたが。

 

 本日はグローバリズムとバベルの塔伝説の、奇妙な共通点についてお話し、歴史と伝説を紐解きました。事実は小説より奇なり、かも知れません。

 

追記:旧誓約書→旧約聖書でした……(汗)修正しました(汗)

(了)


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