再び、2年前の今頃に書いた記事。
大学三年生の頃の自分は、こんなこと考えていたんだなあ...全く覚えていませんでした。
抜粋するとこんなことが書いてあります。
『リソースがある人にはもっといろんな選択肢があるけど、
それがない私たちは、そんな人たちと比べてもしょうがないんだ。
自分の手の中にある選択肢の中で、一番いいものを選んでいくしかない。一番いいものにたどり着けるように努力するしかない。誰もがきっとそうやって生きている気がする。』
生き方云々について考えられるほど、思考が静かな環境にいられたんだなあ、あの頃は。と少し懐かしくなりました。
あの何もない森の中で、誰もいない朝の図書館で、よく課題のエッセイを書いてた。
…
自分にとって「一番いいもの」って何だろう。
あの時の私は、どちらかというと、出願できる大学院や会社の知名度を意識していた気はします。学齢などが高ければ高いほど来の可能性も広がるはず。それはアメリカでも日本でも同じことで、よって皆求めがちなものでもある。求めるのが一概に悪いわけでもないですし。
ただ、今の私は、大学院や会社の知名度ではなくて、自分が自分らしくいられる場所、自分への精神的サポートを十分に与えてくれる教授陣・環境があるところを探している気がします。
ベルギーで一学期間留学していた時に、その環境に自分はなかなか巡り会うことができなくて、苦しい思いをしたから。
自分の好みは変えられないから、結局またハノーバーに似たような、1人で、静かに考え事ができそうな自然の多い、人口密度の少ない場所を選んで、大学院にいくのだろうと思います。
教授含め、いろんな研究者の方とお話ししていて思うのは、
自分が集中して仕事できる場所さえあれば、だいたいどこでも住めるっていう人が多めなのが、Ph.Dホルダーsの特徴です。
(そもそも職があるところにはどこへでもいきますからね...なかなかポストが開かないんだ。というのが研究者に共通して言われていることです。hahaha)