天皇問題と魔子問題 ① | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

毎日・毎日起きている事件について
ユニークな視点で書いています。

 僕が指摘しているように、日本に仏教が伝来したのは、538年です。この時に、百済の聖明王から仏像が贈られてきたのです。ここが大事な点です。仏教が伝えられたのではありません。

 「我が国以外の異国ではこの仏陀なる仏像を崇め奉っています。従って我が国でも仏陀なるものを崇め奉ってはどうか?」と言ってきたのです。天皇に仏像を拝むことを勧めたのですから、仏教の経典など何も入ってきてはいなかったのです。

 若干の経典が付いてきましたが意味不明なもので、「何が伝わったのか?」ということも書いてありません。それが仏教の始まりです。そして、仏像が造られるようになって、天皇は熱狂的な仏像のファンになってしまったのです。

 仏教のファンではなく、仏像のファンです。天皇は法力をつけるために奈良に毘盧遮那仏の大仏を造ったのです。それで、日本国を平和にしようと祈って造られたのです。しかし、現実は違います。聖武天皇は日本国中からお金を集めたのです。当時、使われていたのは銅銭です。銅銭を鋳つぶして仏像に使ったのです。

 聖武天皇は仏陀の功徳が見事に当たって、雷に打たれて死んでしまったのです。これは事実です。これを見てすぐにわかるのです。我が国は神道の国です。仏像導入の時に物部氏は「我が国は神国であるから、仏像など入れたら我が国の神が祟りをなすのではないか?」と言ったのです。案の定です。

 世界一大きい仏像を造り、「これで日本が平和になる」と思った瞬間に聖武天皇は雷に打たれて死んでしまったのです。雷に打たれて死んでしまうなど、滅多にあることではありません。すでに神罰が下っているのです。歴史を見ればよくわかるのです。

聖徳太子の子・山背大兄王は蘇我入鹿に攻められ、斑鳩の法隆寺で一族もろとも亡くなったと伝えられています。「篤く三宝を敬え。三宝とは仏と法と僧となり」と言った聖徳太子の一族24名は皆殺しにされたのです。聖徳太子の遺言が「殺されても復讐はするな」と言うので、一族全員が討ち死にをしたのです。もう仏教徒は神罰をくらっています。その後、乙巳の変(いっしのへん)で蘇我入鹿が暗殺されて、大化の改新(646年)が起こります。

仏教導入により日本の国が神道派と仏教派の2つに分かれたのです。一生懸命仏教派を担いだ天皇と皇族は神罰が下って滅びているのです。

 それなのに仏教を執拗に止めないのです。「神罰を受けたのだから仏教をやめろ」と言いたくなっても、仏教派は仏教を止めません。しつこく皇室に入り込んでいくのです。空海は、何としても天皇に仏教を理解させようとしたのです。

 最澄は空海に「経典には何が書いてあるのですか?」と聞くと「それは弟子にならないと教えない」と言うのです。「本を貸してくれませんか?」と言うと「弟子にならないと見せない」と言うのです。「弟子にならないと密教を教えることはできない」と言うのです。

 空海は嵯峨天皇にもそのように言うのです。「弟子にならないと教えない」と言うのです。天皇も仏教に非常に興味があったので「経典を見せてくれ」と言うのですが、「弟子にならないと天皇といえどもこれは見せられません」と言うのです。

 「私も空海に帰依して密教を習うよ」と天皇が空海の弟子になったから、高野山金剛寺を建てたのです。またこれも罰を受けています。天皇が仏教に帰依したため、そうとう多くの罰が天皇に下っているのです。淳和上皇が崩御すると、嵯峨上皇も重い病に苦しみました。(842年)

 嵯峨天皇の崩御後、842年承和の変(じょうわのへん)が起きて、恒貞親王(つねさだしんのう)は事件とは無関係としながらも責任を取らせるために皇太子を廃されたのです。

 日本の宗教は仏教ではありません。このことをちゃんと日蓮大聖人様が教えられたのが『神国王御書』です。「仏教が我が国にどのように入ってきて、どのような害毒があったのか」ということが書かれています。従って、「日本の仏教はこうでなければいけない」というのが、法華経です。

 天皇は神です。天皇は何を信じなければいけないのでしょうか? 神である聖武天皇は大仏にひれ伏して「我は仏の奴(やっこ)である」などとは言ってはならないのです。これは「私は仏の奴隷です」という意味です。神の子孫である天皇が「仏の奴隷です」などと言ったらダメなのです。

日本には仏教が伝わってきたのですが、それから念仏が全盛になったのです。天皇も念仏です。孝明天皇も非常に悲惨な最後を遂げています。その間に崇徳天皇もいらっしゃるのです。崇徳天皇だけではありません。承久の乱(1221年)では、後鳥羽上皇、順徳上皇、土御門上皇の3人の上皇が島流しにされました。

 多くの神罰が天皇に下っているのです。詳しく見ると不幸な死に方をした天皇が多いのです。天皇が仏教という間違った法を保っているからです。

 天皇が「仏の奴である」などと言ってはならないのです。天皇が神道の勉強していないから、大事な国家の法を見抜けないのです。法華経というものは、天皇が保っても天皇の力を削ぐことはありません。天皇の力が増す教えです。そのような教えを信じないで何を信じているのでしょうか? 

 終戦当時の東條英機首相も念仏の信者です。頭の中は極楽浄土でいっぱいになってしまっているのに、「神国にご奉公する」と言っているのはおかしいのです。論理的矛盾です。「この国を神の国にする」と言うならば正しいのですが、「極楽浄土は死んだ先にあるのだ。この世は穢土で汚れているのだ」というのが念仏の思想です。こんな教えでは天皇に力はでません。

 天皇は自ら信仰を改めて、法華経即ち南無妙法蓮華経を深く信受し奉らなければこの国は治まりません。そのようになっているのです。そのようなことをやらないと、いくら天皇だと言っても不幸なことが続くのです。(②に続く)

 

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