帝王学 | 中杉 弘の徒然日記

中杉 弘の徒然日記

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 昔から偉大な君主というものは、「帝王学を習っていた」と言われています。帝王学で一番有名なものは何かというと、貞観政要(じょうがんせいよう)です。貞観政要というのは、唐の時代の太宗の語録です。

 これは一番読まれている本です。日蓮大聖人様も、これが座右の書だったのです。政治家で大物になる人は、ほとんどの人がこれを読んでいます。一番、唐の時代によく治まった「貞観」という時代があり、その時に治めた皇帝の太宗が臣下の質問に答えるという内容の本です。

 何処から始まるのかというと、「創業と守成はいずれが難きや」というところからはいります。「創業と守成は、どちらが難しいですか?」と臣下が質問するのです。すると太宗は「創業は易く、守成は難し」と言うのです。

 創業は簡単です。戦争に勝てばよいのです。他国を「ワー」と攻めていき、勝てば創業は終わりです。それを維持していくのが大変です。創業は戦争に勝てばよいので容易く、それを守っていく守成は難しです。

 そのようなところから始まり、「人間として完成していくためには、どのようにすればよいのか?」ということが、得々と書いてあります。これは皆が知っていることです。  我が国の天皇について、「帝王教育は必要か?」というと、当然必要です。今上天皇は、きちんと帝王学を授けられています。というのは、帝王学を授けるためには、親と離して育てるのです。

  今上天皇は生まれた時から親と離されて教育されてきたので、親の愛を知りません。ベタベタして「我が子が可愛い」とやっている姿は、最初から帝王学ではありません。親から離されて今上天皇はお育ちになられたのです。

  それを美智子皇后は聞いて、「この人は家庭の愛情を知らない。家庭の愛を全く知らないでお育ちになられたのだな」と考えてしまったのです。「だから私は天皇陛下のために全力でお仕えする」と決意されたのです。美智子皇后さまは立派なお人です。今まで仲睦まじくやってきているのです。  

 明治天皇のすり替え論があり、「明治天皇は大室寅之助である」という説があります。これは真実かどうかわかりません。わからないと言った上で、わかったようなことを言います。大室寅之助は16歳の時に、高杉晋作の奇兵隊にいたのです。大きな男で奇兵隊の力士隊にいたのです。「力士隊」というのですから、体が大きかったのです。

 これも符合するのです。明治天皇はお相撲が大好きだったのです。体は大きかったのです。明治天皇を見た人は、ほとんどいません。明治天皇とお会いする時は、御簾がかかっているので、天皇のお姿は臣下からは見えません。

  明治天皇の写真は一枚もありません。あるのは肖像画だけです。それが、一枚だけ東大にあるのです。明治天皇を隠し撮りをしたというお写真が一枚だけあるのです。それを見ると、雲衝くような大男です。背が高くて色黒で、普通の人ではないような顔をしていたのです。  要するに、相撲取りなどそんな感じがします。そのような感じだったのだろうと思います。この大村寅之助がどこにいたのかというと、吉田松陰の叔父さんの玉木文之進のところで修行していたのです。

  松下村塾が出来る前に玉木文之進から鍛えられた人です。玉木文之進は、もの凄い厳格な人だったのです。何が厳格であったのかというと、「公私を区別することが大事だ」と言われた人です。「公の中に私事を持ち込まない。私事の中に公を持ち込まない」ということをきちんとしていたのです。「これは公(おおやけ)、これは私事(わたくしごと)である」ということを明確にして、それが一歩でも間違えれば、ぶっとばされたのです。

  吉田松陰が蚊に刺されて、蚊を叩いていると、玉木文之進は「わしが講義をしているのに、蚊に刺されただと? お前は全力をあげて俺の講義を聞いているならば、かゆみなどないはずだ。鍛え方が足らないのだな」と言って吉田松陰をぶん殴ったのです。

  玉木文之進は、それほど厳格な人だったのです。「講義を聞くということは、公(おおやけ)のことだ。今、お前がかゆいと感じたのは私事である。この区別をつけないで、武士と言えるのか!」と言われて、ぶん殴ったのです。玉木文之進は、本当に厳しい人だったのです。公私を混同しない人格教育を徹底して行ったのです。

  だから、大室寅之助が天皇になったとしても不思議はありません。明治天皇は、教養がしっかりと身に着いていて、公私の立てわけがきちんとできていたのです。だから尊敬されて、「明治大帝」と呼ばれていたのですから、そのようなことがきちんとされていたのです。

 今の秋篠宮さまとは、偉い違いです。「好きな男と一緒になればいい」という発言は、公(おおやけ)と私事の区別が全くついていません。秋篠宮さまのお仕事とは、公務です。公務である以上は、「好きな人と一緒になればよい」という発言はできません。公務を無視して、「好きな人と一緒になればよい」などと私事を言っていると、ヤクザとくっついてもよいのでしょうか?  

 ヤクザでも、外国人でもよいのでしょうか? 皇族ならば、そんなことはあり得ません。それは公(おおやけ)という意識がないからそうなるのです。「公(おおやけ)」ということを、眞子ちゃんにいくら言ってもわかりません。

 「好きな人もいいかもしれないけれども、うちは皇族なのだ。皇族というものは、公(おおやけ)を考えて行動していくのだよ」という教育を受けていないから、わからないのです。悠仁親王もそうです。「子供の頃から頭がいい」などくだらないことを言っていないで、人格教育をしなければいけません。

  そうでないと人間は、どんどんわがままになってしまうのです。「俺は何でもできるのだな。俺はこんな力を持っているのだな」と、王様や、天皇ならばそう思ってしまうのです。

 ローマのカリギュラもそうです。終いには、人殺しが趣味となって市内を出かけたのです。フラフラと出かけていき、人を殺すのが面白いのです。刀を振り回し、民衆が逃げ惑うのが面白いのです。そのような性格になると、もう君主ではありません。人格教育をしないとそうなってしまうのです。

  カリギュラのような残酷になった王は大勢います。わがままで帝王教育が行われていなかったということです。「皇族に向かって帝王教育など無礼なことを言うなよ」という人もいます。冗談ではありません。教育をしなければ人間ではありません。

 天皇に生まれても何も教育しなければ、それは野獣と同じです。人間は教育されて初めて野獣から人間に成長してくるのです。さらに教育されて人間から神になっていくのですから、それが人格教育というものなのです。

 だから、天皇になる人にこそ、立派な教育をしなければいけません。遠慮して、「そんなことを言ったら失礼だ。眞子さまに向かって何様のつもりだ」などと、馬鹿なことを言うものではありません。

  眞子ちゃんも教育されていなければ、単なる女です。だからプー小室に引っかかったのです。それが教育されて自覚ができて、初めて皇族の一員となるのです。眞子ちゃんに自覚ができていないのであれば、何度でも言ってあげなければいけません。

  玉木文之進は公(おおやけ)がわかるまで、何度もぶん殴ったように、わかるまで何度でも言わなければいけません。そんなことをされなくても、わかっていくのが天皇です。今度の天皇陛下になられる皇太子さまはご立派です。子供の頃から御自覚をもっておられたと言うのです。「普通の家とは違うのだ。国民は何を望んでいるのか?」ということを考えて行動しなければいけません。

 「国民を苛めたり、そんなことがあってはならない」と教えなければいけません。子供は残酷です。悠仁親王が「うちをこんなに滅茶苦茶にしやがって、小室圭に復讐してやる」と言われたらしいのです。「そんなことは意味がないのだよ」ということを教育しないとそうなってしまうのです。

 これが発展すると、「野郎、ぶっ殺してやる!」となるのです。しかも、「最も残酷な方法で殺してやる」ということになるのです。人間はそのような残酷性があるのです。だからこそ、「これはやってはならない。王というものは、このようなものだ」ということを教えていかなければ立派な天皇にはなりません。

 そのような意味で貞観政要や、帝王学に関する書物をちゃんと読ませて、立派な人間をつくっていかなければいけません。天皇はつくられていくのです。それはそうです。即位式の前の天皇と、終わった後の天皇はまるっきり違います。

 それは即位式で天皇の人格をつくっていくのです。天皇になるまでは人間としての自覚があるのです。それが見事な儀式をされて高御座に登り、世界各国から人が集まり、「天皇陛下様」などと言われたら、御自覚は神になっていくのです。  

 帝王学とは、野獣の人間から人間に変化して、人間が神になっていく教育なのです。そのような教育を我々も本当は受けなければいけません。世界はそうなっていかばければいけません。

 人間は、権力を持てば持つほどわがままになり、野獣化してしまうのです。良い例が金正恩です。気に入らない奴は死刑です。「叔父が陰謀を企んだ、殺せ!」と言うのです。しかも、本当に陰謀を企んだのか確かめもせずに殺すのです。

  ちょっとでも気に入らないとすぐに殺されてしまうのです。権力が身に着いてくると人殺しを何もためらうことはありません。金正恩は目だけ動かして「お前は死刑だ!」と合図を送るというおかしな世の中になってしまうのです。

  そのような政治を行っていると貞観の時代は来ないのです。やはり、上に立つ人間が帝王学を心得て人間から神に向かって努力していくときに、世の中はよくなっていくということを教えているのです。もし、機会があれば貞観政要を熟読されたし。

 

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