『佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場』
川棚魚雷発射試験場・・・と言えば聞いた事ある方もいるのではないでしょうか?
そう。。。正式名称は、佐世保海軍工廠川棚魚雷遠距離発射場です。
随分前に一度記事にしてますが、見残しもあったので改めてアップします。
ちなみに→前回の記事
片島に川棚魚雷遠距離発射場が設置されたのは大正7年・・・着工は大正6年です。
佐世保海軍工廠で製造された六年式魚雷の発射試験を目的とする。
その後、九〇~九一~九三~九五式の各魚雷の試射が行われてます。
昭和17年に佐世保海軍工廠川棚分工場が設置 。魚雷は船で海から運び込まれていたが、陸路から運べる ように海岸が埋め立てられ片島は陸続きとなる。
昭和18年に川棚分工場は川棚海軍工廠に格上げされる。
川棚海軍工廠では、主に航空魚雷が製造されていました。
当時、航空魚雷の製造目標は月300本。実質は技術を持つ人員が不足していた事もあり、月30本程が限界だったそうです。ちなみに、労働者数は約千人で、その多くは島原市、松浦市、佐賀県、鹿児島県などから の学徒動員で連れてこられた少年少女だったそうです。
そんな魚雷遠距離発射場跡に残る遺構を・・・ザックリとw
最近?公園化されてる感じで見学しやすくなってるみたいですね。
訪問する度に整備が進み散策しやすくなってる気がします。
片島神社から・・・
試射の安全を祈念して建立されたと言われてます。
社殿や御神体が終戦後どうなったのかは不明です。
現在は鳥居と灯籠が残ってます。社殿があったと思われる場所は基礎だけが残ってます。
第二工員宿舎跡付近に残る遺構・・・
各遺構の詳細は不明ですが、烹炊所や浴場、便所等が点在してたと思われる。
魚雷調整場の基礎・・・
小さな水槽・・・
冷却水槽・・・
冷却水槽(大)
上から・・・
水槽の山側には水路・・・
油庫・・・上から。
さて・・・
まだまだ写真あるんで続きは「その②」で。
~おしまい~
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