矢筈山堡塁・・・その① | 遺産、遺跡を求めて…

遺産、遺跡を求めて…

見りゃわかるさ(笑)

『矢筈山堡塁』


所属 下関要塞

着工 明治28年

竣工 明治31年

備砲 9cm加濃砲 1砲座2門×2砲座4門 15cm臼砲 1砲座2門×2砲座4門 計8門

任務 関門地区大里の背面防御

明治末期に廃止


起工年や備砲に関しては、詳しい資料が乏しく詳細は定かではありません。
矢筈は「日本築城史」にも記載がなく、「学研 日本の要塞」を参照としてます。
起工年は資料によっては、明治20年となっていたり・・・
備砲も9cm臼砲×4門+15cm榴弾砲×6門となってたりします。

個人的には・・・ですが、9cm加濃砲の可能性も低いのではないかと思います。
胸墻の高さにしても、他の9cm加濃砲砲座と比較しても低いんですよね。
砲座周りにも即弾室も全く造られてないのも気になるし。
手持ちの資料を漁っても矢筈に9cm加濃砲が備えられた記録も見つけられません。
15cm臼砲に関しても矢筈に備えられた記録は見つけられませんが、15cm臼砲は下関要塞に24門が備えられていたみたいですし・・・
15cm榴弾砲に関しては、そもそも年代的に合わないように思います。
確認できる4砲座の計8門は全て15cm臼砲だったのでは?そんな気がします。
もしくは・・・山砲とか。。。なのでは?
ま、あくまで個人的な推測ですけどね。



矢筈山堡塁は明治末期に廃止となり、戦後間もなく国有地になり昭和28年に保安林に指定されます。昭和43年よりキャンプ場としての整備がすすめられ、昭和45年に「矢筈山林間学園」となる。

ま、そんな感じなので開発による破壊もなく、全体的に状態良く残ってます。










では・・・

とりあえず行ける所まで車で行って。。。







登山道を20分位ノンビリ30分くらい歩きます。




登山道・・・と言っても、当時の軍道なんですけどね。

堡塁までの間に、1本だけ陸軍標柱が確認できます。




左手に石積が見えてくると堡塁入口です。







入口です。







門柱と思われますが・・・




片側だけが無残に転がってます。。。もう少し何とかならんかねw







堡塁に入ると左手に井戸があったと思われる場所。埋められてますけどね・・・










右手にはキャンプ場施設の便所・・・当時もこの場所に便所があったんではないでしょうかね。




少し進んだ右側には、何かがあったと思われる空間。







を・・・過ぎて少し進むとキャンプ場の管理棟があるのですが、管理棟の少し手前右側に土塁上に上がる階段があります。







土塁上に上がり左手を見る。




小さな階段を上がると・・・




キャンプ場施設の展望台があるだけでした・・・




土塁上より下りて先に進むと管理棟が右手にあります。




管理棟の反対側。進んで来た方向からすると左手には、堡塁陣地内西側と東側を貫く隧道(内部に2つの弾薬庫)これは後にして。。。





右に管理棟、左に隧道式弾薬庫・・・そして進んで来た方向より正面。掩蔽部がチラッと見えてますが・・・これも後にしてw





その手前・・・右手に伸びる道へ進みます。




上がり切ると砲座があります。最右翼側の第4砲座です。




2門で1砲座です。




煉瓦と石積・・・即弾室の無い造りです。




砲床は埋められてるので確認できません。奥左側が上がってきた道、右に進むと次の砲座へ繋がってます。







砲座の向こうには、管理棟手前の階段を上がった先にあった展望台が見えてます。




では先へ・・・




あ、第4砲座の後ろ側を覗き込むと、先にチラッと見えてた掩蔽部が確認できます。




L字方向に右に折れて先に進む。




右手に砲側庫。映画のロケ時に入口は手が加えられてます。




重厚そうな造りですが、木製ですw




内部・・・石積より上の木製部が映画ロケ時に増設された物・・・




まっすぐな階段で繋がる砲側庫は珍しいですね。







砲側庫入口より・・・




内部・・・















では、先に進みます。

砲側庫を過ぎた右手。




用途不明の平地・・・




右奥に階段がありますが、土塁上に上がるだけ。




この平地の左側少し上に次の砲座があります。




第3砲座・・・




2門で1砲座で造りは第4砲座と同じですね。




砲床が若干確認できます。










ほな、先へ進みます。。。





いや・・・


先がまだ長くなりそうなので、その②へ続く。




     ~おしまい~







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