大映作品「女体」(1969)のキャンペーンで福岡にやって来た浅丘ルリ子さんを、一目見よう
と行き先々に想像を上回る多くのファンが押しかけたことは、前回、前々回で書きましたが、
その後のスケジュールは地元テレビの出演と試写会でのご挨拶が残っています。
その日の夜に帰京しなければならないので時間的な余裕が無く、テレビ出演はKBC九州
朝日放送のみ。テレビ局にも大勢のファンが待ち受けていました。そして福岡大映での試
写会とご挨拶。大勢のお客さんであふれた試写会でしたが、案内状は高値が付いたと聞き
ました。
一日限りの福岡キャンペーンでしたが、大きな話題作りに成功しました。私は丸一日、彼女
とご一緒しましたが、素顔の彼女はどこにもいる普通の常識ある女性、ところがいざ舞台と
か映画・テレビに出ると、まるで人が変わったようにオーラを発散する女性だったことを思い
出します。とんぼ返りの一日でしたが、こき使って申し訳ないと恐縮する私に、このくらい平
気よって表情でにこやかに最終便に乗る彼女のヴァイタリティあふれる後姿は、今でも忘れ
られません。(完)
大学生の時、大映作品にはまり、大映の情報を調べている最中にこちらのブログにたどり着き、以前から拝読させていただいておりました。
また新作映画の感想も的確で読みごたえがあり、そちらも楽しみにさせていただいております。
もし差し支えなければ成田三樹夫さんに関して何か思い出話がございましたら記事にして頂けないでしょうか。成田三樹夫さんが大好きなものでして…。
初対面でぶしつけなお願いをしてしまい申し訳ございません。何卒ご検討よろしくお願いいたします。
お立寄りいただき嬉しいです。
このブログは大映の思い出話を中心に書くつもりで始めたのですが、
いつも脱線気味で申し訳ないと思っています。
成田三樹夫さんは、いつも撮影所で会いますが、挨拶をする程度で
深い付き合いがなかったのが残念です。あの独特のか髪型が社内でも
賛否両論でした。
こんにちは初めまして、こちらのブログで けんさんに大変に御世話になっている 小三太夫と申します。
成田三樹夫さんの件でお尋ねとの事で、余り参考になりませんが、成田さんが故郷の山形にお住いの頃、キャッチボールをして球を受け損ねて顔面に当たり、網膜剥離を起こして私の地元の新潟大学病院に入院していたそうです。
ワタシも10年くらい前に上記の病院に入院した事が有り、その時に病院のベッドから窓の外を眺めて「この景色も成田さんは眺めたのかなぁ」と感慨深かったのですが、最近、病院の建物も建て替わり、道路も拡張され、県庁、電鉄の駅も無くなってしまい街並みがガラリと変化して、当時を偲ぶ物は近所の中野記念館と白山神社しか有りません。
余り、ファンの方には面白く無い話でごめんなさい
ご参考までに・・・・・・
ご返信ありがとうございます。
貴重なお話ありがとうございます。
独特の髪型が社内でも賛否があったとのこと…
当時からあの髪型はやはり賛否があったのですね…(笑)
個人的にはあの髪型含め、大好きですので賛の方に加えていただければと思います。
小三太夫様
初めまして。網膜剥離のお話は存じていましたが、新潟の病院だったのですね。貴重な体験のお話ありがとうございます。先日成田さんの故郷の酒田も尋ねましたが、ガランとしていて、なんとも寂しくなりました。時間は無情に移ろいゆきますね。
ふなたび様や小三太夫様のやり取りを拝読しながら、成田さんを偲んでおります。
小生の場合、大映倒産後の成田さんとお仕事された東映・日活関係者の方々からお話を伺う事が機会が多かったのですが、
とても気さくで心の暖かいお方だったようです(^_^)
御尊敬・お慕いする中島貞夫先生から伺いましたが、中島先生の御自宅に生前の成田さんがよく遊びに来られ、御食事やお酒を共にされた際、成田さんが好まれる話題は歴史や考古学の分野で、古代史についてよくお話されていたそうです。
因みに、小池朝雄さんは野外劇場の展開や、これからの新劇の在り方や夢を熱く語り、
西村晃さんは、国際情勢や政治問題等、
とにかく、あの世代の皆様は知的だったようです(^_^)
東映の現場でも、中島先生始め、深作欣二監督らの信頼が特に厚く、阿吽の呼吸で監督陣の求める演技を適格に汲み取ってくれるお方だったと・・。
只、東映・深作欣二監督「柳生一族の陰謀」の現場では波乱もあったようで、
西郷輝彦さんら、何人かの関係者・共演者の方々が証言されていますが、そもそも萬屋錦之介さんが、深作監督とクランクインの段階から意見が合わず、現場は険悪・・(^_^;)
恐らく、成田さんは深作監督の意向や狙いに合わせてお芝居されていたと思うのですが、
萬屋さんが、成田さんに対して「あなたは、何故私に合わせないんだ!」と不満をぶつけ、成田さんも反論し、やりあったそうです。
もちろん、萬屋さんは深作監督とも衝突。
深作監督は現代的なセンスで演出されていたので、成田さんや高橋悦史さんらは従っていたようですが、伝統的な時代劇文化を求める萬屋さんの不満が共演者にもぶつけられたのでしょうね・・。
日本テレビ「探偵物語」
の現場では、あの気難しい松田優作さんも成田さんには敬意を払っていたようで、
石原裕次郎さんも、成田さんを大変信頼され、
石原プロ&東宝の「影狩り」シリーズ
「反逆の報酬」でも裕次郎さんと肩を並べる準主演ぶりだったのは有名かと。
日本テレビ「太陽にほえろ!」にも2回に渡り、ゲスト主演されていますので余程、裕次郎さんの信頼も厚かったのでしょうね(^_^)
因みに、2回目の作品(二人の刑事)という作品は下川辰平さんと成田さんがメインで東宝の児玉進監督だったと記憶していますが、
工藤堅太郎さんもゲスト!
成田さん扮する下川さん旧知・友人のベテラン刑事が工藤さん扮する重要人物に疑いを持ち、下川さんは工藤さんを庇う展開・・。
「太陽」スタッフの方々も往年の大映ファンを意識されたのでしょう。
作家の梶山季之先生原作で、
成田さん、江波杏子さん、工藤さん主演の
TBS &大映テレビ室製作「土曜日の虎」(昭和41年)
という探偵アクションドラマがございまして、
成田さんが敏腕の私立探偵兼経営コンサルタントで、優秀な秘書と部下が江波さんと工藤さん。
以前、工藤さんは、本作の思い出を語っておられ、成田さんを「本当に気の合う大切な友だった・・」旨。
YouTubeで成田さんの御名前で検索して頂ければ御逝去当時の報道映像もあった筈。
テレビ朝日「こんにちは2時」が特に御葬儀のリポートを詳しく伝え、
中島先生、宇津井健さん、菅原文太さん、松山英太郎さんらが出棺に立ち合われ、インタビューに応じる部分もあるかと・・。
まだまだ、他にもエピソードはございますが御参考までにm(__)m
成田さんの御冥福を改めてお祈り致します。