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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

秋篠寺 ~會津八一歌碑~

2018-07-22 23:25:21 | 文学をたどる
 會津八一の歌碑めぐりも、薬師寺、興福寺、東大寺と来て、次は秋篠寺である。
 秋篠寺は、宝亀7年(776年)光仁天皇の勅願により、善珠僧正が開山したと伝わる。創建時は、金堂、東塔、西塔などが立ち並ぶ広大な伽藍を擁していたが、その後兵火等により、現在は、国宝に指定されている本堂が残っているのみであり、苔むした庭の中に、創建時のものと考えられる礎石が数多く残っており、往時の姿を偲ぶことができる。

 秋篠寺のこの苔むした庭と樹木は、いかにも奈良の古寺という雰囲気で心を落ち着かせる風景となっており、この風景の中に、會津八一の歌碑が立っている。

 

 西塔跡の前に歌碑があるが、結構、周りの風景に溶け込んでいて、ちょっと気づかないほどである。

 

 歌碑には、「あきしの の みてら を いでて かえりみる いこま が たけ に ひ は おちむ と す」と自筆で刻まれている。秋篠寺をでて振り返ってみると生駒山に日が落ちようとしているという非常に美しい自然の叙景が歌われている。今、秋篠寺の周辺から生駒山が見えるのかどうか、あんまり気にしたことはないが、この歌を読んでみると、夕暮れの山に落ちる赤い陽がめに浮かんでくるようである。

 

 この歌のほか、自注鹿鳴集に所収されている「南京新唱」には、「秋篠寺にて」という題で他に二首読まれている。
 「たかむら に さし いる かげ も うらさびし ほとけ いまさぬ あきしの の さと」
 「まばら なる たけ の かなた の しろかべ に しだれて あかき かき の み の かず」

 どうもこの歌から推測すると、八一が秋篠寺を訪れた当時は、伎芸天などの著名な仏像はお寺にはなく、博物館などに出品されていて、非常に寂しい状況だったようである。現在は、本堂に安置されている。

 秋篠寺を訪れると、伎芸天立像の美しい姿もさることながら、国宝の本堂がまたいい。

 

 鎌倉時代の建築物ではあるが、奈良時代の様式を模して建てられているという。屋根の形が非常に緩やかで、奈良時代の建物の特徴をつかんでいるような気がする。

 

 本堂は、白壁と格子戸と連子窓のコントラストが非常にいい。僕は、秋篠寺へ行くと、正面の少し右側から眺めることができるベンチがあり、そこに座って、静かに本堂を眺めることにしている。非常に心が落ちついてくる。そして、本堂の姿は、万葉集の言葉で言えば「見れど飽かぬ」というところであろうか。

 

 秋篠寺については、大勢で来るよりは一人ぐらいで静かに伎芸天立像や本堂を眺めるのがいいかもしれないと思うなあ。

 

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