休日はデジカメ持ってぶらぶらと📷

アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

西の京を歩く 追記 ~天神社・宝来山古墳(垂仁天皇陵)陪冢~

2018-09-30 00:15:42 | 史跡を歩く
 少し前、このブログで西の京について触れたのだが、先日、これまで見つけることができなかった宝来山古墳(垂仁天皇陵)の陪冢の探索に成功!これで宝来山古墳の陪冢もい~へ号陪冢まで6基すべて見つけることができた。
 まずは、宝来山古墳から近鉄線を越えて東へ向かったところにある陪冢に号を訪ねる。に号陪冢には隣接して、天神社という小さな集落の鎮守さんのような神社がある。

 

 もともとは、神社ではなく寺院であったともいう。それだからか、秋祭りの幟には興福院という名前が書かれていた。祭神は、豊国主命、天照大日霊貴尊の二柱。あんまり聞いたことのない神さんだ。(もしかしたら、天照大日霊貴尊は天照大神の別称か?)

 

 ここから、陪冢の存在が確認できないか、本殿の裏に回り込もうとしたが、雑草が鬱蒼と生えており、またやぶ蚊がものすごい勢いでここぞとばかりに襲い掛かってくるので、前に進むことができず。結局、西側から、田んぼごしに陪冢であることを示す木標をやっと確認することができただけである。

 

 田んぼにせりあがってくるモスラの幼虫の見える森がほ号陪冢である。見る限り古墳のように見える。発掘調査など当然のごとく行われないので、古墳である可能性があると指摘するにとどまっている。

 

 このに号陪冢の写真を撮った場所から反対側に振り向くと、宝来山古墳の全景を見ることができる。

 

 この宝来山古墳は何度もいうが、この古墳の姿の美しさは、奈良にある古墳では、ウワナベ古墳と双璧ではないかと思う。周りのロケーションなども最高である。ずっとこのまま次の世代へ引き継いでいきたいものである。

 せっかく、近くまで来たのだから、宝来山古墳も見ていこうということで、近鉄橿原線の踏切をわたって古墳へ向かう。この宝来山古墳、大きさは全長330mあり、全国で20番目の大きさになるという。ちなみに奈良県で一番大きい古墳は、見瀬丸山古墳である。

 

 宝来山古墳の姿がいいのは、周濠に水がたっぷり入っている所ではないだろうか。そして、周りに高い建物が全くないというロケーションがさらに美しさを高めているような気がする。
 宝来山古墳のすぐ北を平城京の三条大路が東西に通っている。平城京の建設にあたっては、京内の古墳が破壊されたりしているのだが、宝来山古墳が残ったのは、何か意味があるんだろうな。宝来山=蓬莱山ということで神仙思想と関係があるのではという説もある。

 

 古墳の周りでは、すっかり秋の景色になっており、田んぼの畔には真っ赤な彼岸花が、咲いていた。奈良の秋景色という感じである。

 

 前方部の南側にあるは号陪冢の周囲にある田んぼには、いろいろな形の案山子が立っており、旅行者の目を楽しませていた。

 宝来山古墳から北へ向かい、三条通りを尼ヶ辻駅へ向かい、酒屋さんの横の路地を入っていくと、集合住宅の横にへ号陪冢がある。

 

 この間は、なかなか見つからなかったのだが、今回は割とすぐに見つけられた。最近、タブレットを持つようになり、Googleマップを手にしながら歩けるようになった効果だな。科学技術の進化を実感する。

 

 このへ号陪冢、一見、古墳のようにも見えるが、そう言い切ることができる物証もないため、古墳かどうかわからないらしい。難しいなあ。
 へ号陪冢を”確保”ということで、宝来山古墳の6基の陪冢すべてを”確保”できた。よかったよ~。

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