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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

東山古墳発掘調査現地説明会

2019-04-22 06:43:09 | 現地説明会
 平成31年4月20日(土)
 今年度、最初の発掘調査現地説明会、これまで寒い日が続いていたのだが、この日になって急に温度上昇。暑いぐらいである。場所は、古市古墳群の中でも最大の古墳、誉田山古墳(応神天皇陵)の外提沿いにある広場で行われた。

 

 広場までは、国道170号線から入っていくことになる。この日は菜の花が満開。

 

 説明会場まで真っ黄色だった。誉田山古墳は墳丘は、応神天皇陵として宮内庁が管理しており、外提部分については、国の史跡と指定され保存されている。こういう宮内庁の指定と史跡としていわば二重の指定を受けているのは、古市古墳群では、津堂城山古墳がある。こういう二重の指定をすることで、宮内庁が管理している以外の部分、誉田山古墳であれば、外堤と外濠の部分の保存が可能となっている。

 

 この指定は、行政の英断だと思う。これがなければ、大山古墳(仁徳天皇陵)の古墳のようにきわきわまで家が建ってしまい。何とも見栄えのしない古墳になってしまうところだった。

 さて、今回発掘調査が行われた東山古墳は、古墳時代中期(5世紀前半)に築造された一辺57mの方墳であり、誉田山古墳の陪冢の一つと考えられている。また、この東山古墳野北側には、すでに消滅しているが、アリ山古墳という一辺45mの方墳があり、東山古墳と周濠を共有していた。
 誉田山古墳の説明板の古い写真には、削平を受けているが、東山古墳の隣にアリ山古墳の跡がしっかりと残っている様子が写っている。

 

 さて、今回の調査は、アリ山古墳と東山古墳の間の区画で行われた。

 

 調査では、陸橋や溝、アリ山古墳と東山古墳との共有の周濠底を確認している。その中でも特筆すべきは、東山古墳とアリ山古墳との間をつなぐ陸橋の検出であろう。

 

 陪冢同士をつなぐ陸橋の検出は初めての事例であるとのことである。説明では、アリ山古墳が先に造られ、その後東山古墳が造られ、そして二つの古墳をつなぐように陸橋が造られたと考えられるとのこと。
 陸橋の斜面は礫が敷かれており、その礫に潜り込むように粉々になった冠帽型埴輪などが集中して見つかっている。

 

 これらの埴輪は、古墳から落ち込んだものでは無いとのこと。何らかの意図をもって置かれたもののようだ。

 

 また、陸橋の東端は、調査区外まで伸びているためはっきりした大きさは判明していない。

 

 最後に、周濠底には等間隔でピットが4つ確認されており、両古墳の間に木製の埴輪を立てていた可能性があるそうだ。

 調査区へは、東山古墳の墳丘を登って行った。腐葉土が積っているためか結構ふかふかしていた。

 

 東山古墳の墳丘が2段築造になっているのが、階段の形でわかるのが何となく面白い。

 

 東山古墳については、平成14年にも発掘調査が行われている。

 

 このブログでも紹介しているので参考にどうぞ。「東山古墳 現地説明会」

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