踊りの稽古とは、ある意味【密教】に似ている部分がある。

 

密教では、いろいろな仏様や神様を修法するやり方を、師僧に許しを得られたときに直伝で教えて頂けるのですが、それは本屋書物で調べただけでは伝えられない部分があり、それを師僧より口伝で教えてもらうために、さまざまな修行を熟さないといけないのである。

 

踊りの稽古とは、なかなか厳しいものである。

 

独特な身体の使い方、意識の仕方、見せ方など、普段の生活とは相当かけ離れているために、ある種、禊的に身体の鍛錬をしないといけない。

それを見ている師が『よし次はこれだな』と新しいことを伝える。

 

しかしながら、教えて頂いたそのことがその場ですぐ解ることもあるが、何年も経ってから『ああっ!あの時仰られたことはこのことだったのかぁ!!』と気付くことも多々ございます。

 

年を取ってきて、基礎の大切さが嫌というほどよくわかるようになった。

本当に大切で宝物で、常に常に意識しておかないといけないことなんだ、とつくづく身に染みて思えるようになる。

 

アキレス腱を切ったこともあるが、やはり20代30代の時のように身体が利かなくなってくるからこそ、このように思えるのだろうと昨日の2回目のバレエの個人レッスンが終わった後、先生とお話しておりました。

 

基礎の先にある、身体の美しさ、舞踊というアートの素晴らしさに出会えること、それをこの年になって感じられるようになった。

 

どんな動きをしていても、基礎、基礎、基礎を思い出す、気を付ける、考える。

そうやって振付や動きの穢れを落とし清くしていくこと、是舞踊の稽古なり。

 

こうして考えると、やはり終わりのない道なのでございます照れ