家のカシワの木が紅葉しました。父は毎日何度となく庭に出て、カシワの木といちじくの木を見に行きます。今年はいちじくがたくさん実をつけたので、嬉しいようです
台所で夕飯の用意をしていた私にこんな話が聞こえて来ました
父 「カシワの葉が赤くなったね…」
「あれって、ひろくん(孫)が拾って来たどんぐりがあんなに大きくなったんだよね…。
すごいね~」
「…どんぐりなるかなぁ」
母 「…どんぐりなる頃には、わたしたちはいないよ」
父 「あー、そうだね」
私の両親の会話です
「どんぐりがなる頃にはいない…」と言った言葉に驚き、反応した私は「…なんで?」と問いかけました
「どんぐりがなるまでにはあと7年ぐらいかかるからね…」との事でした。
私はとっさに納得してしまい、その後何も話せませんでした
もちろん、まだまだ二人には長生きして欲しいと思いますが、確かに…7年の年月は長いと思いました
結局、その言葉があってますます父と母の人生を書きたいと思いました
父は小学校の教員でした。そして来年の2月で90歳になります
今は自分の年齢が少々不確かで、たいがい人に聞かれると1つか2つ若くなり、時おり70歳台になることもあります。なぜか、実際より多めに言うことはありません
母の身体が弱いため、ご飯を炊くことと洗濯を干すことはできます。ちょっと気分がのらない時は、あれこれ理由を付けて後回しにするので、そんな時は手助けをします
父は若い頃から洗濯干しの手伝いをしていました。きっと、今どきの言葉でいうイクメンならぬ…ちょっとだけ家事メンという感じでしょうか
まぁ、どちらかというと、悪事(パチンコ好きでお金を使ってしまうため)をカバーすると言った感じな所もありましたが…
※今の先生だったら、パチンコするなんて言ったら大変なのでしょうね…(;'∀')
もう半世紀以上前の話しなので、ご了承ください。それでも、コソコソ気づかれないように通っていた
のだと思います('◇')ゞ
年齢も年齢なのですが、物忘れがひどいという段階から認知症に変わって、ちょっと進んで来たのはここ1~2年の間です
ご飯を食べたこと、さっき話したことそして頼まれた用事はほとんど忘れます
二人の会話を聞いていると、同じ話を五回以上は繰り返し話します
母は、家計を支えるために私が小さな頃からいろんなパートをしていました
私と兄はいつも鍵っ子で、寂しさのあまり日曜日に母の職場を度々訪れたことを覚えています(児童館のない時代だったので…)
働きづめで50代の頃から体調を崩しいろんな病気になり、今は週三回の透析通院となりました
現在、頭はしっかりしていますが、耳が酷く遠いのでとんちんかんな答えが返ってくることもあります
今日はそんな二人の「どんぐり…いとかなし」の話しでした
ゆみいのねこだるま
ミンネ