リンゴは無限の価値を内包している | 大学受験のリアルー合格したいなら、予備校に行くな!-

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"参考書で独学する"という非常識で効率的な「勉強のやり方」を徹底的に解説していきます。
また、人生全体の「生き方(人生観)」や、勉強の「本質的価値」についても伝えていきたいと思います。



※この記事は、2014年7月~2015年10月の間に

アップされた記事に「加筆・修正」を加えたものとなっております。




僕は、日常生活の中で思いついた事とか、ブログのネタになりそうなこと、考えるきっかけになりそうな事が出てきたときは、携帯とか色んなところにメモるようにしています。


それで、この前、ブログの下書きに「リンゴは色んな使い方ができる」という謎のメモを残していました(笑)


よく見てみると、リンゴっていうのは、普段は食べ物としての役割を果たしていますが、状況によっては、それがキャッチボールの道具になったり、時には武器になったりする、みたいなことが書いてありました。


この話から何が言いたいのかというと、リンゴには「食べる」という事以外の価値が内在している、ということです。


簡単に言えば、リンゴは無限の可能性を秘めてるってことです。


「たかがリンゴ、されどリンゴ」ってことです(笑)


僕らは、自分の頭を柔軟にすることによって、リンゴからあらゆる可能性を引き出すことができるのです。


こういった、リンゴの中に内在している無限の価値のことを、専門的には「アフォーダンス」と言ったりします。


アフォーダンスは、「与える」という意味の英単語「affford(アフォード)」の名詞形です。


リンゴは無言で、僕らにその可能性を与えている(アフォードしている)のです。


その可能性(アフォーダンス)に気付けるかは、僕らの思考の柔軟性次第ということです。


この話は、人生全般において適用できる、重要なことを言っています。


それは、「1つの物事は、視点を変えることによって、色んな解釈ができる」ということです。


どんな物事でも、捉え方次第で、色んな解釈の可能性を引き出すことができるのです。


例えば、身近な例で、「受験勉強において浪人してまった」という出来事について考えてみましょう。


そこからは、「みんなから遅れを取ってしまった」「1年分余計に勉強しなきゃいけなくなった」というネガティブな解釈を引き出すことができます。


しかし、同時に「浪人した」という出来事の中には、「その経験によって、粘り強さと孤独に耐えるメンタルを身に付けることができる」といったようなポジティブな解釈の可能性も潜んでいるのです。


よく言われることですが、すべての出来事は「捉え方次第(解釈の仕方)」でどんな見方もできるって事です。


しかし、僕がここで声を大にして言いたいのは、無理にポジティブシンキングをしてはいけない、という事です。


よく、「捉え方を変えれば、ポジティブになれる」みたいな事が言われたりしますが、そういうのの多くはエセポジティブだったりします。


つまり、ネガティブな側面をみないようにして、無理にポジティブな面だけ切り取ろうとする、という事です。


僕は、そういう物事の捉え方は良くないと思っています。


どんな出来事でも、ネガティブな側面とポジティブな側面の両方を持ち合わせています。


その「全体性」を認める必要があります。


さっきの浪人の話で言えば、大変なこともあるだろうし、苦しいこともたくさんあると思います。


それは、ひとつの解釈の可能性として受け入れるべきです。


しかし、大事なのは、そういった「ネガティブな側面だけではない」という事に気付くことです。


さっきも言った通り、浪人する事によって得られる事というのは、思考を柔軟にして考えればいくらでも見つかります。


つまり、失ったものと同時に得るものがある、ということです。


これは、どんな事にも言えることです。


例えそれが、どんなにポジティブに見えることでもです。


たとえば、すごく裕福な家庭に生まれたとしましょう。


すごく経済的に恵まれていて、何不自由なく育てられたとします。


それは、一見良い事だらけのように思えますが、同時に、お金に対する「有り難み」を感じる機会を失っているとも言えるのです。


お金があることが当たり前であるが故に、そこに感謝の念は生まれないのです。


何かを「得ている」と同時に何かを「失っている」ということです。


「お金持ち」という状況から、「物に困らない」というポジティブな側面を引き出すこともできれば、「お金の有り難みが分からない」というネガティブな面も引き出すことができるのです。


こういったことから言えるのは、すべての物事は本質的に「プラスでもマイナスでも無い」って事です。


僕は、そういった「ゼロ視点」で物事を見ることが大事だと思っています。


それは、ある種の「悟り」とも言えます。


「悟り」とは、文字の区切りを変えれば、「さ・とり」であり、その本質は「差を取る」ということなのです。


それは、全ての物事は一緒だ、という視点です。


そういう視点を持つ事が、「クリアに世界を見る」ってことです。


言い換えれば、「解釈のバランスを保つ」という表現になります。


ネガティブな側面だけを見ている時は、ポジティブな側面を見ようとする必要があるし、ポジティブな面ばかり見ている時は、ネガティブな面も同時に見る必要があります。


「浪人した」という出来事に対して、「他の人より1年余分に勉強しなければいけない」というネガティブな側面ばかりに目が行くようなら、「逆に、得られることは何か?」というポジティブな解釈を引き出す必要があります。


それが、「解釈のバランスを保つ」ということです。


それは、ポジティブな側面だけを見ようとする「エセポジティブ」とは違います。


無理にポジティブになろうとするのはバランスが悪いので、余計辛くなります。


しかし、マイナスもあるけど、プラスもあるという「ゼロ視点」の捉え方(本質的な見方)をすれば、心が軽くなるはずです。


以前、『筆談ホステス』というテレビドラマが流行りましたよね?


耳が聞こえないという障害を抱えながら、それを武器にしてナンバーワンホステスになる、という実話を元にした物語です。


「耳が聞こえない」という一見ハンデに思えることが、ホステス業界では逆に希少価値となり、それによって、人気を獲得することができたのです。


「耳が聞こえない」という事実から、「筆談でコミュニケーションをする」という可能性を引き出し、それを自分の売りにしたのです。


つまり、「筆談コミュニケーションによる希少価値」というポジティブな側面に気付いた、という事です。


「普通にコミュニケーションを取れない」という事の中には、マイナスな側面とプラスの側面の両方が潜んでいたのです。


それに気付いたとき(ゼロ視点で物事を見れたとき)、彼女の人生は輝き出しました。


それは、彼女が「悟った(差取った)」瞬間だと言えます。


あらゆる物事には、無限の解釈の可能性(価値の引き出し方)が内包されています。


その真理に気付き、全体性を受け入れたとき、この世界に存在する全てのものの本質がよりクリアに見えてくると思います。


僕にも、あなたにも、自分ではまだ気付けていない「無限の可能性」が眠っているのです。



最後まで読んで頂きありがとうございました。



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