ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

古城街道を走る … ロマンチック街道と南ドイツの旅(3)

2020年03月26日 | 西欧旅行…南ドイツの旅

         (古城街道をゆく…車窓から)

< ロマネスク様式のシュパイヤー大聖堂 >

 ハイデルベルグを出発し、バスは一旦、西へ。ライン川のほとりの町シュパイヤーへ向かった。ここには、世界文化遺産のシュパイヤー大聖堂がある。

 シュパイヤー大聖堂は、1030年に神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世の命によって起工され、1061年にハインリッヒ4世によって献堂された。ロマネスク様式の聖堂で、地下には皇帝や妃や司教らの棺があるそうだ。ただし、今はプロテスタントの教会である。

 なお、ハインリッヒ4世とは、あの「カノッサの屈辱」の皇帝である。強くなる教皇権とたたかった皇帝だ。

 (大聖堂への森の小径)

 樹木の繁った森林公園の中を、大聖堂へ向かって歩く。秋の落ち葉の道に、バイオリンを弾く人がいた。

 大聖堂は、奥行きが133mあり、ロマネスク様式の教会としては世界最大規模とされる。塔に特徴がある。 

 (大聖堂の西正面)

    フランスのルイ14世の軍に攻撃されて焼かれたりしたが、修復された。ふつう、修復される過程で、ゴシック様式とかルネッサンス様式とか、その時代、時代の新しい様式で補修される場合が多い。しかし、この大聖堂は純粋なロマネスク様式を今にとどめているそうだ。

  (ティンパヌムの彫刻)

 中には入らなかったから、印象は薄い。

 団体ツアーでこういう宗教施設を訪れても、中には入らない。入っても、ちょっと覗いてすぐに出てしまう。添乗員も、今も信者が通う生きた教会に、異教徒の群れを引き連れてぞろぞろと入っていくのは気が引けるだろう。それに、ヨーロッパはどこも、外国人の添乗員が自国の文化遺産について、勝手に説明することを法で禁じている。ガイドできるのは、勉強して、その国のガイド試験を受けて合格した、プロのガイドだけだ。

 そういうわけで、本当に西洋文化の深層に少しでも触れる旅をしたければ、個人で旅するしかない。

 日本の寺や神社は、今、中国人らの団体が押し掛け、傍若無人に大声でしゃべり、自撮り写真を撮り合い、一度も手も合わせることなく去っていく。彼らにとって、寺や神社はたいして面白くもない「観光施設」で、興味の対象は別にある。しかも、隣国の添乗員が反日的な説明をしても、とがめることができない。

 日本の寺や神社を回る欧米の観光客は少ないが、彼らはほとんど個人旅行者で、寺や神社でのマナーはおおむね良い。日本人よりおくゆかしい人もいる。

 日本も、団体客に対するプロの日本人ガイド制を創設するべきだと思う。大量に押し寄せる近隣国の観光客に対して、マナーを守らせること、そして、日本の文化を誇りをもって伝えること。そのためには外国人添乗員のガイドを無法状態にしておいてはいけない。

 (遠足の子ら)

 小学生の高学年か、中学生か、遠足で大聖堂に来ていた。見ていると、女の子もなかなか活発だ。

         ★   

ネッカー川沿いに古城街道をゆく

 ここから、東へと向かう。今日の最終目的地はローテンブルグだ。

 「古城街道」は、ドイツの南部地方を東西に走る観光ルートである。

 西の出発点(到達点)は、ネッカー川がライン川に合流する町マンハイム。

 マンハイムからネッカー川に沿って東(上流の方)へ走ると、ハイデルベルグに至る。

 さらに、所々に現れる河沿いの丘の上の古城を見ながら走り、しばらくして南へ遡るネッカー川と別れて、街道をさらに東へと進む。

   (古城街道をゆく) 

 やがて、「古城街道」はドイツの南部地方を南北に走る「ロマンチック街道」と交差する。交差するところにある町が、城壁で囲まれ中世そのままの趣を残す町ローテンブルグである。

 (古城)街道は、ローテンブルグからさらに東へ進んで、ニュールンベルグが東の終点(出発点)になる。

 ただし、ニュールンベルグからさらに東へと街道は伸び、国境を越えてチェコに入り、やがてプラハに達する。

 プラハまでを想定すると、遥かなる旅であり、ロマンを感じる。

 「古城街道」といい、「ロマンチック街道」といい、ドイツ観光局の見事なネーミングで、言葉は言霊(コトダマ)となって、世界から観光客を呼び寄せた。特に日本人には、中世のお城や騎士やお姫様や魔法使いが大好きだから、人気が高い。

 ヨーロッパと比べると、日本の観光戦略は立ち遅れており、まだ後進国である。

 バスの車窓から、所々に小さな城を見ながら、ネッカー川沿いの道を走った。

        ★

< 城塞都市バード・ヴィンブフェン >

 列車だとハイデルベルグから1時間の所にバード・ヴィンプフェンがある。ネッカー川の谷と丘の上にできた町だ。この町に立ち寄り、昼食をとった。

 町の起こりは古代ローマ時代に遡る。ゲルマンの侵攻に備えて、ネッカー川の谷に城塞が築かれ、ローマ軍の分遣隊が駐屯した。

 ローマが滅び、フランク王国の時代になると、防御しやすい丘の上に城塞が築かれた。

 1182年、シュタウフェン家の皇帝フリードリヒ・バルバロッサはこの地が気に入り、居城地の一つとした。そのお陰で町は発展し、帝国自由都市となる。

 勇将バルバロッサは、第3回十字軍の総司令官としてエルサレムに向けて進軍したが、途上、事故死する。そのあとは、イギリスの獅子心王リチャードが十字軍の指揮を執り、イスラムの王にして知者サラディンと戦った。  

  (町のシンボルの青い塔)

 旧市街には木骨組の家々が建ち並び、町のどこからでも、町のシンボルの青い塔が見えた。この塔に上れば、眼下に旧市街とネッカー川の絶景が見えるそうだ。

 昼食後は、ローテンブルグに向かって、バスは走った。

 

  (古城街道をゆく)

           (続く)    

※ これは、2009年10月7日~14日のツアー旅行の記録です。

 

 

 

 

 

 


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