相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」の殺傷事件

裁判員裁判が続いている。

もう14回の公判が開かれている。

 

遺族が意見陳述するなかで、犯行を正当化し続けた被告に対して

「苦労と不幸は違う」と反論していた。

 

苦労と不幸は違う

 

この言葉は重い。

 

犠牲になった男性の母が弁護士を通じて訴えた。

 

「被告は、障害者は不幸を作ると言っていますが、

不幸をつくったのは被告。

息子は不幸なんてつくっていません。

いつも幸せをつくっていました。

苦労と不幸は違うのです」

 

そう訴えていました。

 

 

どんな人生にも苦労はある

それは事実です。

苦労を苦労と思わず、「がんばれ」とはいいません。

苦労は苦労として、自分も相手もねぎらうべきです。

「大変だったね」と、いってあげればいい。

 

でも、苦労=不幸と思わない

苦労はしても不幸ではない

 

被害者男性の遺族の方も

お世話に苦労はあっても、笑顔に救われたこともあったでしょう。

だから不幸ではなかった。

 

これは私たちにも言えることだと思います。

 

苦労=不幸、と思えば

幸せでない部分、報われないことばかり頭に浮かびます。

苦労≠不幸、と苦労と不幸を単純に結びつけなければ

「大変だったけど幸せだった」と気づくことが出来ます。

 

どんな状態であっても、自分が幸せだったと思うなら

こんな心やすらぐことはありません。

 

自分が「幸」か「不幸」か?

私は自分で決めたい。

他人に決められたくない。