0歳児の悲嘆 | アラフィフめいのブログ

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アラフォーの妊活・産休・育休・仕事・断捨離。
身軽な生活ができるのか、徒然なるままに…
とやっていたら、アラフィフになりました。

ご無沙汰です。

ダイエット記録をまめぐらふでつけているので、ネットとか日記?から遠ざかっている感じが、個人的に全然していませんでしたが。。。。アメブロは久しぶりです。

生きています(笑)

 

 

さて、昨日、ボディトークで問診の時。

 

「過去のトラウマに類似した現在の課題に直面すると、背骨が一個だけ飛び出す。

過去のトラウマに類似しているだけで、違う事象なんだと認識する=思い込みを解消すると背骨は元通りに戻る」

と伝えたところ、

「まだ残っている過去の感情がおへその下にあります。

孤独。

感情を受け取ってもらえない感じ」

ということで、治療を受けたのですが。

 

これが、随分手こずりました。

 

治療っていったって、私個人は「イメージしているだけ」で、ボディトークの技でそのイメージを利用してその感情を昇華する治療方法なので、ここでは私個人がイメージしたことを書くしかないのですが。。

 

まず、「その感情に色をつけるとしたら?」(これは何色でもよくて、直観です)

→限りなく黒い灰色。

 

次に、先生が患部に手を当てているので、その下に「集める」のですが。

最初はね、ケーキの上に絞りだした生クリーム1個分くらいだったです。

いつもどおり、(私個人のイメージですが)箒で掃いて集めてみた。

ところが、「あれ・・・・・?」

割と広い範囲から掃き集めれたのに、芯みたいなのが残っている感じがしました。

こんなの初めて。

触感としては(あくまでイメージですよ)、水彩絵の具を塊のまま固めてしまった感じ(この硬さも初めて)。

結構大きい芯なので、折ったり、こそげたり、掘ったりと色々したのに、なかなか「取り切れた!」という感じに到達しませんでした。

何度か繰り返すうちに、掘った穴は奈落の底?的に深くなり、こそげてできた穴もうねりながら奥へ続き、削って掃いてを繰り返し。。。。

ついに「取れた!(注:一部のみ)」という感じが得られました。

めずらしく「明るい」感じ。

いつもなら、「何もなくなった」感じなのに、今回は、光り輝く真珠色が、硬い灰色の向こうから出てきました。

 

先生が、他の治療に移ったあとも、そのイメージでせっせと手前勝手にイメージ治療を続け。。。

でっかい洞穴がへその下にできあがったイメージに到達しました。

奈落の底は、背骨まで到達していたし、洞穴の奥は子宮や骨盤まで到達していたようなイメージでした。

 

洞穴は、「不妊治療に関する旦那への怒り」を治療したとき以上に大きく、粘着質で硬質でした。

 

先生は、この感情が何であるか特定しませんでした。

だけど。

こういう洞穴なら、「親との感情の断絶の記憶」だ。。。。と直感しました。

 

この後の詳細は端折りますが。

 

夜、私は涙を流し、声にならない声を上げて泣くこと数回繰り返しました。

最初は、2歳の私が泣いていると気づき、その次は0歳のときの私が泣いていると気づきました。

 

親と子のアタッチメントで、実母と私の関係が途切れたときの私が泣いていました。

 

生後2か月で母がいなくて泣いた(母は仕事へ復帰し、私は保育園へ)。

2歳のころ、弟が生まれ、親戚の家に預けられて泣いた。(母と別居)

 

周囲の大人は、最善を尽くしたと思いますが、そのときの私は、私の世界が潰えたと認識したようです。

 

「私が寂しいと思う気持ちは、尊重されない。終わった」と。

寂しいと意思表示することは尊重されることはなく、無価値だと。

号泣しているのに、声が出ない2歳児、0歳児のときの私。

泣く意味がないのだと。

泣いても世界は復活しないのだと。

でも寂しいから、辛いから泣くのだけれど。

泣く意味がないのだと。

辛いと訴える意味がないのだと。

尊重される私ではないのだと。

 

そういう絶望を、0歳の私は既に感じたんだと。

 

その後も、「無価値のように扱われた私の感情・存在(正しい認知としては、「無価値だと私が認定した過去の感情(寂しい)」」が、場面を変えて思い出されて、そのたびに泣きました。

 

 

これまでも、自分の感情の癖に、母との精神的なつながりの断絶があるという認識はありました。

 

ただ、原風景をみたのは今回が初めてでした。