8年前に、義父母宅は、一軒家からマンションへ引っ越しまして。
その2年前にうちの旦那は私と結婚して、その一軒家を出て。
義祖母(去年亡くなった)はその年の3月に施設に入ることになって、その一軒家を出て。
基本的に、その二人の新生活に不要なブツを3トンほど捨てるのに、土日に義父母宅へ通ってはを3か月ばかりかけて。
そして、「捨てる!技術」本を義母に貸してみたら、「捨てるものはない!」と怒鳴られたり。
かつては、社長夫人だった義母の、輝かしい?社長夫人生活を偲ぶ、今となっては一文の価値もないお宝?についての蘊蓄を聞かされたり。
まあ、ワタクシ的には苦行を経て。
「新居(マンション)に、あんなにモノを持って行ったって、使い切れねー(使う体力とかない)だろ」という物量(4トントラック1.5台分。ほぼ義母のモノ)を引っ越しさせたワケですが。
あれから8年。
ワタクシ的に、「これくらいにモノ絞ればいいのに」と思った物量に、義母のモノが縮小していることに、先日、気が付きました。
庭の植木は「面倒見られなくなったから、近所のヒトに分けた」とか。
布団は「誰も泊まらないから、処分した」とか。(我が家は泊まるときは、義父母宅ではなく、2駅離れたホテルに泊まる)
身支度用品(化粧とか髪とか用)は、知らないうちに減っていたとか。
この8年間に、旦那や私が関与して捨てたモノもあるんだけど。
義母が、ボランティアさんとかご近所さんの力を借りて処分してきたようデス。
ご本人が処分できずに、遺品整理が悲しいことになっているお宅があることを考えれば、義母は義母なりに始末をつけようとしているんだな。。。。とは思うわけで。
たださあ。
8年前に、「義母の老化レベルならこれくらいがいいだろう」と思ったレベルに、「今」なったワケで。
いうなれば、「今の義母の老化レベルなら、ここまでモノ減らさないと、生活厳しいだろう」というレベルには、当然届かないワケで。。。。。
なんなんだろうねぇ。
「息子やそのヨメには頼らない私」=「高齢になっても自立できている私」という自己像を崩したくないのか。
嫁の予言通りになってたまるか!なのか。
義母の米寿のお祝いをお昼にして。
「私があとでやるから(使い終わった食器に触らないで)!!」と叫ばれて。
それでも、チビたちと遊ぶのに専念している義母の目を盗みながら、全部洗いあげ、9割拭き、5割仕舞いまして。
義母が、残りの作業に着手したのは午後5時。。。。。
何も言われませんでしたけれどもね。
冷凍庫は、いっぱいだった。
買い過ぎだ。。。。とヨメは思ったりしたけどさ。
義父が年の何割かは施設に入所しているので、そんなもんなのかね。。。と思ったりして。
口は出してこなかった。
高齢者の判断能力の低下ってあるんだろうけれど。
まあ、義母が決断したことだし、みたいな。