マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

確信がある、

2019年08月23日 | キリスト教
「彼らがわたしに対して陣を敷いても/わたしの心は恐れない。

           わたしに向かって戦いを挑んで来ても/わたしには確信がある。」
                
                               詩編 27篇 3節

「わたしには確信がある」どんな人生の局面に遭遇しても動じない、

恐れない、おろおろしない確信を持つことができたら、どんなによいでしょう。

では、どうすれば、私たちは、確信を持つことができるのでしょうか。

第一に、神は究極の勝利を与えてくださると信頼することです。

敵は攻め込んで、陣地を破り、物を分捕り、しまいには、私たちの命を奪い、切り刻むかもしれません。

しかし、神は私たちに、死んでも死なない、永遠の命を与えてくださいます。

命を奪えても魂は殺せないのです。

神のくださる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。

さて、戦いの中で、最も大きな敵は「恐れ」と言われます。恐れによって、

相手が一の力しかないのに十に見えたりします。信仰によって、この恐怖を克服することができます。

ロマ 4:20
「彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことはなく、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。」

エペソ 3:12
「わたしたちは主キリストに結ばれており、キリストに対する信仰により、確信をもって、大胆に神に近づくことができます。」
 
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