ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

人前で泣くのは恥?

2020年05月28日 | 介護
だいぶ以前に父の姉の旦那さんの葬式が東京のお寺であった。
そのころは母もまだ歩けたので、母と二人で参列した。
葬儀の最中父の姉は嗚咽して泣いていた。
それを見た母は私に小声で「葬式にはみっともないかな泣くな!」と、言って来た。
その言葉が私の頭の中にあったので、私は自分の父の葬式に一つも涙を見せなかった。
泣いたら母に何を言われるかと思うと涙は出なかった。
弟は四十九日の納骨の時に大勢の親せきの前であいさつをしながら泣いた。
母はそれを止めることなく見ていた。
私はその時も泣かなかった。
本当のことを言えば思いっきり泣きたいと思ったが、泣けば母に何を言われるかと思うと、泣けないでいた。
母曰く人前で涙を見せるのは馬鹿だと言う。
関西ならばアホだということだろう。
数年前に主人の母が亡くなった。
温厚な誰からも好かれる母だった。
いつも愛想がよくて人気者だった。
その日、私は葬式で少しだけ泣いた。
なぜならその葬式には母は列席しなかったのだ。
私は今、思いっきり誰かの胸にすがり声を上げて泣きたいと思う。
しかし泣くことは許されないのだ。
込み上げる涙を必死にこらえ不通を装う。
これこそ一番酷なのだ。
平静を装う。
冷静を保つ。
今の私には一番酷なことなのだ。
泣くことは母に言わせると美徳ではなく恥なのだ。
言いようもない悲しみが込み上げてきても涙を見せることもこぼすことも許されないのだ。
今朝の義兄の電話で施設にいた義父が老衰で亡くなったと言う知らせを聞いた。
95歳だった。
定年まで国鉄で働いていた。
まじめで余計なことは言わない義父だった。
義母と義父は仲の良い夫婦だった。
義父は元気なころは祭りの役員をしていた。
八雲神社のにわか神主も祭りの時はしていた。
年末は氏神様の愛宕神社の手伝いもしていた。
町内会の役員もしていた。
まじめでおとなしくて余計なことは言わないタイプの人だった。
95歳の死因は老衰です。
このご時世だからと葬式は家族葬にするそうです。
私にとっては大事なお父さんでした。
実の父を亡くしてたとえ義父でも大切な父でした。
嫁に来た手の頃一緒に笠間稲荷に行ったことがありました。
菊人形を見て、義父は孫への土産を買い、遠い昔の思いです。
その後、義兄が歌舞伎のチケットをもらったけれど見に行けないのでと義父と浅草公会堂に歌舞伎を見に行ったこともありました。
どうも兄夫婦には気を遣うらしく、兄夫婦が留守の時に呼んでくれて食事をしたことも…。
私はこの家に嫁に来たことは良かったです。
素敵な両親に恵まれたのです。
しかし今、私は泣くことは許されないのです。
本当は泣きたい気持ちをぐっとこらえています。
なぜ葬式に泣くのはいけないのでしょう?
個人を忍んで泣くことは許されないのです。
それはみっともないことで、バカのすることだと…。
そんなわけで喪中になりました。
もしかしたら行きたかった木馬亭にも行かれないかも知れません。
行く予定にしていたシャンソニエにも行かれないかも知れません。
実の父が亡くなりたった一人お父さんと呼べる人も亡くなりまでぃた。
泣くことは母に言わせると美学ではないのです。
人前で泣くことは恥なのです。
涙は人に見せるものじゃないようです。
今、私はどこかで思いっきり号泣したい!
主人の父は大好きでした。

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