OL主婦の小さな幸せ。

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求道会館の一般公開~外観編~

2019年10月08日 | 本郷散歩(東京・文京区)

6月半ば、東京・本郷の裏道にある「求道会館」の内部一般公開に行って来ました。
※6年前にこの記事でさらりと紹介しています→本郷散歩~明治・大正・昭和の建物~

10年ほど住んでいた本郷の、よく通っていた裏道にあり、その頃は草もボーボーで廃墟状態でした
古い建物にまだ関心がなかった10代20代、通っても「ここなんだろう?」と思うだけだった。

今はもちろん修復されており、普段は入れませんが毎月第四土曜日のみ公開されます。

そして今回内部公開へ参加して、なぜ廃墟だったか判明するとは思いもしませんでした。



道会館は、いわば仏教の教会堂です。
仏教界の刷新を志し欧州の宗教を視察・体験してきた浄土真宗の僧侶・近角常観(ちかずみじょうかんという方が、
新進気鋭の建築家・
武田五一(後に日本のモダニズム建築家京都帝大建築学科の創設者となる)に設計を依頼し、
12年の歳月をかけて煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート)の重厚な建物を大正4年に完成させました。
隣接して仏教を学ぶ若者の下宿として、大正15年に建てられた求道学舎があります。
常観は求道学舎にて青年学生と起居を共にし、自らの信仰体験を語り継ぐ場としたそうです。

昭和16年に常観が没したあとは弟の近角常音がその活動を受け継ぎましたが、
常音が昭和28年に亡くなったあと会館は長く閉鎖されることになりました。
その後平成6年に東京都の有形文化財に指定され、平成8年~14年に掛けて修復工事が行なわれたそうです。
※サイトから抜粋

受け継いだ弟さんが亡くなられた昭和28年から修復が始まる平成8年、随分と長い年月放置されていたのですね。
修復が終わったのが平成14年ですから、50年も閉鎖されていたことになります。

ちょうど昭和の終わり~平成初期10年程はすぐ近くに住んでいたので、草ボーボーの廃墟状態に納得がいきました



改修工事が行われて、寺院と教会建築の融合である往時の姿を取り戻し、大正モダンの素晴らしさを今に伝えています。

そして大正4年の竣工時は、このように西洋の教会建築様式を取り入れたものですが、
実は竣工後に関東大震災に襲われ、修復した時にはもっとシンプルな外観に改変されていたとのことです。
規模は違えど東京駅の事情と似ています。
(東京駅は戦災後の復元ではドーム部分と3階が再現されなかった)

復原にあたり近角常観のお孫さんの建築家・近角真一さんが資料を方々から集め、耐震補強を兼ねて外観を竣工時に戻したとのことです。

さて、その近角真一さん。
今回、内部見学にあたってかなり興味深く面白く、解説して下さいました。

入場
してからものの2,3分で「それではお集まり下さい」と、優しげな紳士から呼びかけがあり着席。
お話の途中で
、その紳士が近角常観のお孫さんで求道会館・求道学者の所有者であると同時に
修復工事の際の設計者でもある建築家の近角真一さんであることを知ることになります。
しかも設計事務所の代表、東京建築士会の会長でいらっしゃいます(これは帰宅後に知った)。

すごい方からお話を聞いたのでした。




この半円窓の裏側(内部側)はステンドグラスになっています!




玄関前の列柱は少し楕円。よく見る近代建築の列柱は円柱が多いから珍しい~


この赤?エンジ色?がなんとも素敵。


細かいところまで細工がきいてる。


持ち手がレトロで手にもやさしい。

そして建物左手には、



求道学舎への門があります。クリーム色の建物が求道学舎です。
正確には旧・求道学舎かな。
現在は集合住宅になっており、一般の方が住まわれているので入れません。






ズーーム。
アーチ状の素敵な窓が見えます。

求道学舎は、仏教を学ぶ若者の下宿として大正15年に建てられました。
創設時の設計はもちろん武田五一。

当時日本に導入されはじめたばかりの鉄筋コンクリート造で建てられ、アーチ状の窓をもつ西洋風の外観は
まるでホテルのような白亜の建物だったそうです。
「3階建ての建物の中には、6畳1間の部屋が30室以上並び、共有スペースには食堂や書庫もあり、近角常観をはじめ一族も暮らしていました。ひとつの大きな家族のようで、常観の子供達も中学生になると寮室に入り、成人して結婚すると寮室を2つ連結して新居にするという具合です。
私の叔父などは、幼い頃廊下を三輪車で走りながら寮室にいる学生に郵便物を配って遊んでいたそうです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)


しかしながら、昭和平成と時を経てツタがからまり度重なる漏水で建物は廃墟化し、求道会館・求道学舎とも閉鎖を余儀なくされました。

常観亡きあと「求道学舎」は近角真一さんの叔母さま夫婦が舎監を務め、平成に入っても学生を受け入れてきたといいます。
「改修直前の頃には雨漏りにより3階、2階は全滅、かろうじて1階に叔母とわずかな学生が残る状態。平成11年(1999年)に叔母が亡くなったこともあり、求道学舎の在り方を見直すことになったのです」(近角真一さんのお話より・ネット記事からも抜粋)

ここから、近角真一さんの「取り壊しではなく再生を決断したその想い」が始まります。
平成16年から平成18年まで、リノベーションが行われました。
この話はまた次回に。



右書きが古さを物語っていますね~


日本の近代化か進むにつれて、心の拠り所として多くの知識人や学生に慕われた近角常観。
常観が入ってくると、館内にわぁーーっと歓声があがったそう。
求道会館には連日常観の“説法”に人々が集まり、求道学舎では東大の学生が常観の共に暮らし、次世代へとつなぐエリートを輩出した。
常観の“人材育成”の拠点として存在したのが、この「求道会館」であり「求道学舎」であったそうです。



求道学舎の再生の話と、求道会館内部の様子は次の記事にて!




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