油屋種吉の独り言

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MAY  その38

2020-02-19 21:31:56 | 小説
 白髪の老人はどこにも見あたらない。
 ただ、一匹の年老いたヒヒが洞窟のすみで
震えているだけだった。
 「なんてことするんですか。なんにもわる
いことしてないじゃありませんか。ヒヒさん
はメイさんのかあさんに頼まれて・・・」
 リスが果敢にヒグマに抗議し始めると、ほ
かの動物たちもそれにならった。
 多勢に無勢である。
 ヒグマは、彼らの勢いに気おされながらも、
 「おれは初めから気に入らんのだ。あんな
やつが、いつまでも人間のかっこうしくさっ
て。ああだこうだとえらそうに」
 と言った。
 動物たちの発する音が、逐一、メイの耳に、
意味をもって伝わってくる。
 ヒグマがなおもヒヒのもとに歩み寄ろうと
するが、果たせない。
 行く手を森のけものたちにはばまれ、ヒヒ
に一歩も近づくことができない。
 このままではメンツを失くしてしまう。
 ヒグマはぐわっとひと鳴きすると、身をひ
るがえし、ほかのけものたちを威嚇するかの
ように、小山のようなからだをのっしのっし
と洞窟の外へと運びはじめた。
 「命拾いしたな。今度あったら、ひどいぞ。
おまえな、二度とおれの前に、姿を見せるん
じゃないぞ」
 ヒグマの捨てぜりふに、ヒヒは身を縮む思
いがした。
 「みんな、ありがとう。これでおじさん助
かるわ」
 メイがけものたちにむかって頭を垂れた時、
彼女の首にかけられている小袋が、強い光を
放ちだした。
 その光は黒い布地をつらぬき、ヒヒのから
だを、なめるように照らしていく。
 見る間に、ヒヒは、その姿を変え、もとの
白髪の老人にもどっていく。
 「やれやれ、あぶないところだった。みな
のおかげじゃ。礼をいう。それにしても、ヒ
グマにあんなにねたみやうらみをかっていた
とはな。わしも、もう少しっかりせんと」
 ヒヒはヒヒ。
 彼はいまだに人間として完全ではない。
 薄汚れてしまった白髪を、彼はいとおしそ
うになでつける。
 リスが再び言った。
 「良かった、良かった。あんたは森の守り
神みたいなもの。これからもしっかり、その
お役目を果たしてください。何もかも森の神
さまのおかげだ。みんな見てただろ。あの石
の威力を。決してメイさんの母さんだけの力
じゃない。なっそうだろ」
 「そうだ、そうだ。森の神さまがわたした
ちの味方をしてくれている。もう大丈夫だ」
 一匹の年老いた鹿が、長い首をなんどもた
てに振りながら言った。
 「ありがとう。リスさん。そして鹿さんも。
みんなみんなありがとう」
 森の奥へと帰っていったはずのヒグマが、洞
窟から少し距離をおいたところでうずくまり、
何ごとか口ごもり始めた。
 「メイさん。ほんとはな。おら、あんたが
好きだ。こんなにちっちゃい時から知ってた
んだ。ずっとずっと心配でな。あんたの母さ
んらしい人は、おれの苦手なヒヒが気に入っ
たらしくてな。もっとも、おれはずうたいが
大きいだけで、まったく知恵というのがない
んだ」
 「そんなことないわ。だったら、あなたの
力を貸して。きっと役に立つわ」
 「ああ、いいともいいとも」
 もう一度、ヒグマは、人間になろうとして
いるヒヒをにらみつけた。
 彼はギャッと叫ぶなり、地べたにへたりこ
んでしまった。
 驚きのあまり、さっきよりたくさんの毛が、
顔をおおい始めたらしい。
 思わず、彼は、しわの多い両手で、彼の顔
面をおおった。
 「もうやめて。お互いの気持ちがわかった
わけなんだから。もういざこざは良くないわ」
 メイが、ヒグマとヒヒの仲を取り持とうと
した。
 ヒヒは何を思ったか、ひょいとヒグマの背
にのった。
 しかしヒグマは彼を振るい落とさない。
 「おお、おお。くわばら、くわばら。こい
つの背中にいるのはこれが初めてじゃ。いい
眺めじゃ。メイさん、あんたは、もう、わし
の助けなんぞ無用じゃ。こんなにどう猛なヒ
グマを手なずけたんだからな。あっはっはっ。
じゃあな、わしはそろそろ」
 「どこへ行くんですか。困ります。この石
だって、まだ使い道を、よく教えてもらって
いないし」
 「心配するな。そのうちわかる。その石が
教えてくれる」
 彼は、二本の大きな針葉樹の間を、野イチ
ゴのこまかな枝を素手でかきわけながら、さ
らに奥へと歩み入ろうとした。
 「まあ、手が。血がでてるわ」
 「なあにこれくらい。なんでもないわい」
 メイのほうを向いた顔は、もうすっかり以
前の老人の顔だった。
 「これでいっておしまいになるなんて。わ
たし、これからどうしたらいいか。知ってお
られることをもっと・・・」
 メイがそう言うなり、顔を伏せた。
 「わかったわかった。メイや。嘆くんじゃ
ない」
 彼は長いあごひげをなでさすりながら、
 「まあ、そのうちわしと会うことになるじゃ
ろうて。その時はな。ひょっとして、お前のい
としい人々とも会えるかもしれんて。まあ楽し
みにしておることじゃ」
 「愛しいって、だれ、のこと?」
 「自分で考えることだ」
 彼はきっぱりと言った。
 ヒグマがのそりと彼に近づくそぶりをみせた
時、彼はぱっと身をひるがえした。
 彼はしばらく一本の倒木の上でほほ笑んでい
たが、さっととびおりるなり、彼の杖を地面に
突き立てた。
 すると、たちまちのうちにあたりが春の景色
にさまがわり。
 枯葉の間から、草花の芽がふきだしたり、み
みずが穴の中からはいだしてきたりした。
 「まあ、なんてすてきな力を持っているんで
しょう。やっぱりあなたはすごいわ」
 希望の星を見つけたように思い、メイは目を
輝かせた。
 
 
 
 
 
 
  
 
 
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