油屋種吉の独り言

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晩秋に、伊勢を訪ねて。  (8)

2020-02-18 21:59:21 | 旅行
 温泉につかり、伊勢エビやさざえなどの海
の幸をいただく。
 海辺のホテルならではの、ぜいたくな時間。
 食事はバイキング方式。
 すでに、三々五々、集まってきていた客た
ちが、あちこちのテーブルでにこやかに語り
合いながら、舌つづみを打っている。
 「お父さん、いっぱいだね。席が空いてな
いみたい。温泉、長く入りすぎたかな」
 さえない表情で、せがれがいう。
 「なあに、大丈夫大丈夫。まだまだ始まっ
たばかりさ」
 席につけないでいるのを察した、年配の仲
居さんがやって来て、
 「何か、お困りでしょうか」
 と、にこやかに訊ねた。
 「いやはや、どうにもこうにも、こういう
場所に慣れないものでして」
 「なんでもおっしゃってください。いいよ
うに取りはからいますから」
 「できたら、できたらでいいですが、窓辺
で食事をしたいと思うんです」
 わたしはすまなそうにいった。
 大きな柱のかげになって、そんな席がある
のを見つけられなかったようだ。
 「ここなどいかがでしょう」
 「はい、お願いします」
 わたしはふたつ返事で応じた。
 「良かったね。お父さん」
 ああとうなずいてから、わたしはため息を
ついた。
 ところが、なかなか腰を上げられない。
 どっしりとして、すわり心地がいい。
 動いている快速みえの座席とは、比べよう
がなかった。
 「お父さん、ぼく、おなか空いたから、お
先にね」
 せがれがふわりと立ちだし、さっさと食べ
物バイキングにでかけた。
 となりのテーブルが、にぎやかだった。
 ほろ酔い気分で、時折、少々耳ざわりな声
をあげる。
 (まあまあしかたない。旅の恥はかき捨て
というところか)
 わたしは笑ってやり過ごそうとした。
 「おねえさん。これ、どうやって食べたら
いいの。ねえねえ」
 年配の夫婦づれ。
 夫らしい、いい加減年老いた男が、若い仲
居さんにむかって、鼻にかかった声をだした。
 彼の隣にいるのは、妻らしい。
 彼女はしかめっ面をして、
 「まったく軽口なんだから。そんなの訊い
たってしょうがないでしょ。適当に食べたら
いいでしょ、てきとうに。若い子をみるとす
ぐ話かけたがるんだから」
 と言った。
 「あはは、嫁さまに横やりをくらっちゃっ
たわい。気にしないでね。おねえさん」
 彼は充血した目をほそめた。
 せがれの動きを目で追う。
 これがなんともすばやい。
 ごちそうの前でいならぶ人の列を無視して
割り込んでしまう。
 わたしは見ていて、ひやひやした。
 彼は、またたく間に、色とりどりの食べ物
を、眼の前のテーブルの上に、すらりとなら
べた。
 「食べていいかな。お父さん」
 「ああ、いいよいいよ。うちじゃないしね。
みんながそろうまでお預けなんてことがない」
 せがれは目をかがやかせ、ひとつひとつ口
に運び出した。 
 山あいに住む者は、この日採れたばかりの
魚介類を口にできるなんてことは、めったに
ない。
 小食に徹しているわたしは考えた。
 食べ過ぎはからだにわるい。すぐにおなか
をこわしてしまう。すべての食べ物を、ほん
の少しずつ皿に盛ってこよう。
 食べながら、海の夜景をじっくり楽しむこ
とにした。
 夕陽を受けて、雲や海の色が朱色に染まり
だした。
 

 
  
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