油屋種吉の独り言

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そうは言っても。 (2)

2020-08-30 21:25:36 | 小説
 お盆を過ぎてからも、厳しい暑さが和らぐ
気配がない。
 エアコンがあるにはある。
 だが、それは一階の奥の間に設置されてい
て、ほとんど客のために使われる。
 種吉の書斎は、二階にある。
 朝八時をすぎると、彼の書斎のなかは、ま
るでサウナのようになってしまう。
 だから彼がパソコンで物語をつむいだりす
るのは、早朝か夜更けにかぎられる。
 「ああ、暑い、暑い」
 上半身、はだか、半ズボン一丁のかっこう
で、彼は階段をおりてきた。
 ちょうどその時、玄関のすりガラスの向こ
うに人影があらわれたので、彼はあわてて階
段をかけあがった。
 ピンポーン、ピンポーン。
 呼び出し音が二度鳴った。
 しかし、誰もそれに応じない。
 (今頃、どなただろう。かみさんがいるわ
けなんだが。ひょっとして、もうどこかに出
かけてしまったのだろうか)
 種吉は、板張りの廊下に、ごろりと横にな
ると、だんまりを決め込むことにした。
 十分くらい経っただろう。
 もはや玄関は静かになっていた。
 やれやれと思った種吉は、むくりと起き上
がろうとしたが、思うようにいかない。
 背中や肩がやたらと傷んだ。
 二、三日前に、畑で乗用の耕運機に乗った。
 その上、じゃがいもを収穫しようと、備中
ぐわを振るった。
 年老いるとすぐには疲れが現れないと、彼
は誰かに聞いたことがあった。
 「あんた、いるの」
 ふいに、玄関の三和土あたりで、かみさん
の声がした。
 ああ、いるよ、と種吉は即座に答えた。
 だが、彼女にはその返事が聞こえなかった
らしい。 
 彼女は何やら不平を口にしながら、台所に
向かった。
 (こんな時は、すぐに彼女のもとに行くに
かぎる)
 種吉はそう思い、あちこち痛むからだをも
みほぐすようにしながら、階段を降り、台所
に向かった。
 台所のドアはぴたりと閉ざされている。
 おそるおそる、彼はドアの取っ手を握ると
ドアを少しだけ外側にひらいた。
 食器を洗う彼女の手が一段と速くなる。 
 「うちにいるんなら、応対してくれればい
いんだよね」
 「ごめん」
 「回覧板を受け取るために、草むしりの時
間が少なくなっちゃったじゃないの」
 「ごめん、ごめんね」
 「ごめんは、一回でいいの。とにかく何か
手伝って」
 「ちょっと文章の勉強があるんだ」
 「いつもそう言って、逃げるんだ」
 「逃げるわけじゃないけどさ」
 「ああ、暑い、暑いわ。シャワーでも浴び
ようとっと」
 かみさんはそう言うと、どたばたと廊下を
歩いて行ってしまい、浴室のドアを音を立て
て閉めた。
 種吉は、できるだけ涼しい部屋で、休みた
いと思った。
 飼い猫のプータローにみならって、家の中
でいちばんしのぎやすい場所をさがすことに
した。
 北向きに小屋がある。
 そこは板張りになっていて、からだを横た
えると、きわめて心地よい。
 「おら、ちょっと出かけてくる」
 種吉は、浴室のドアのそばで、小声でそう
言ってから、玄関から出た。
 小屋の一部は、たたみ三畳分くらいの、長
ぼそい部屋になっている。
 すりガラス入りのサッシを開けると、すぐ
に部屋に入りこめた。
 驚いたことに、サッシが一枚、開け放って
あった。
 どうやら、ゆうべ、彼が閉めるのを忘れた
らしい。
 「みゃあああ」
 日かげになった板の間に寝ころんでいたプ
ータローが種吉のほうを向き、長いひげをひ
けらかしながら、大きく口を開いた。
 しっぽを、盛んに、床に打ちつける。
 「やれやれ、お前にはかなわないな」
 種吉はそうつぶやくと、後ろ手で、二枚の
サッシを閉めた。
 彼はプータローのじゃまにならないように、
ごろりと横たわった。
 あまりの心地よさに、種吉は思わずため息
をついた。
 
 
 
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