油屋種吉の独り言

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晩秋に、伊勢をたずねて。  (3)

2020-01-27 18:09:16 | 旅行
 午前十一時、名古屋に着いた。
 ここで乗り継ぎ、快速みえ号で伊勢へとむ
かう。予定の列車はすでに、ホームわきにと
まっていた。
 プラットホームであちこち歩きまわり、友
人Wを探すが、見あたらない。
 発車時刻までは、まだ余裕がある。
 そのうちやって来るだろうと、わたしは最
寄りのベンチにすわり、心臓の鼓動の高まり
をしずめようとした。
 クウッと腹が鳴る。
 のぞみの車内で食べたのは、サンドイッチ
ひときれ。それだけでは、小食で鍛えられた
胃腸といえど、耐えられなかったようだ。
 せがれがほほ笑みをうかべ、
 「お父さん、おなか空いたよね。ぼく、何
か買ってくる」
 といって、立ち上がった。
 彼は、確かな足取りで、数メートル先にあ
る売店にむかう。
 ようやく念願がかなうという思いが、そう
させるのだろう。
 ジりりりりッ。
 発車のベルに驚かされ、文庫本を読んでい
たわたしは顔をあげた。
 反対側のホームにとまっていた赤っぽい列
車が出発するところだった。
 列車の側面に、長野方面行き、とある。
 長野か、そうかと、短い言葉が、思わずわ
たしの口をついて出る。
 松本には若いころ訪ねたことがあった。大
学の友人ふたりと、上高地まで旅行した。
 季節は、確か、秋。
 松本電鉄の沿線をじっと見ていると、車窓
を流れ去る風景が、何枚もの絵画のように見
えた。熟れたりんごの赤が、刈り取りを終え
た田園風景の中で、強いアクセントの役割を
果たしていた。
 上高地は、別世界。
 河童橋から眺める穂高は神々しいくらい。
 梓川はあくまで清らかだった。
 「お父さん、ほら」
 せがれの声で現実にもどる。
 手渡された焼きそばを夢中でたいらげた。
 ジりりりりりッ、ジリ。
 いよいよ、みえ号の出発。
 せがれとふたり、車中の人となった。
 もはや友人Wのことは考えないことにした。
 もし伊勢でも彼に会えなかったら、との不
安は消えないが、考えてもしょうがないこと
は考えないことにした。
 指定された席にせがれとふたり、腰かけた。
 わたしは、ふうっと長い息を吐いたとたん、
あることを思い起こした。
 近鉄で行くと、友人はわたしに告げていた。
 (なんちゅう忘れんぼや。もう認知症がはじ
まったんか)
わたしはそう、こころの中で言った。 
 飲むとすぐに出る。
 ミルク飲み人形よろしく、尿意をもよおし、
トイレにかけこんだ。
 トイレのドアを開け、出てきたところで、
 「Kさん、だよね」
 と声をかけられた。
 (ええっだれ、誰なんだ?こんなところに
知りあいはいないぞ)
 ふいに見知らぬ男の人に声をかけられ、わ
たしは揺れうごく床の上に、ほとんど倒れこ
んでしまいそうになった。
 その男を、容易に、友人Wと認められない。
 彼は、近鉄電車に乗っているべき人だった
からだ。
 ようやく、わたしは彼を認識できた。
 「Wくん。どうしてまた、JRに?」
 「だって、現役の先生の頃に、この線をし
ょっちゅう使ってたんだもの」
 「なるほど。でも遠いのによく会いに来て
くれたね」
 わたしは彼の左手を、しっかり握った。
 わたしが席に戻るのが遅いと案じていたの
だろう。
 せがれが席から立ちあがり、こちらを見つ
めていた。
 
 
 
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