油屋種吉の独り言

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苔むす墓石  その25

2020-01-29 13:25:26 | 小説
 店の人は誰もかれも、客の応対に大わらわ。
 ゆかりは一瞬ためらったが、勝手のわかっ
た店のこと。
 通路をふさぐほどに混雑する間をすりぬけ、
茶系の和服を見につけた五十がらみの男の前
に立った。
 何やら、ひと言ふた言、彼女の語りかけに
応じた男。一度うつむき、端正な顔をゆがめ
たが、ふたたび顔をあげた時には、ほほ笑み
をとりもどしていた。
 ゆかりの顔を正面から見、彼女のこころを
見透かすかのように、眼をみはった。
 よくひげのそられた顔を、一度だけ縦にふ
ってみせた。
 ゆかりは、それに応えたようにうなずくと
宇一に合図をするように、彼のほうに向きな
おり、彼女のほっそりした左手をあげた。
 ふたりは、いったん店外にでた。
 「すごいね。あんなにたくさんのお客。い
つもそうなんだ?あの人、平山さんのお父さ
ん?男前だね」
 宇一が覚えたての関西弁を使う。
 「あらまあ、あら覚えたんだ。ハンサムと
までいかないけどね。とにかくあなた、あと
について来てよね。はぐれないように」
 初めての土地だし、これほど込み合った店
は見たことがない。
 熱気と騒音で、宇一は毒気を抜かれたよう。
 言われるままに、ゆかりのあとをついて行
くしかなかった。
 店わきから路地に入った。
 途中から店の白壁がこげ茶に変わったと感
じたら、よく見ると、板塀だった。
 「これも平山さんちのだね」
 「そう、裏手に家があるのよ。すぐに入り
口になるわ。そこから入って。足もとに気を
つけてね、暗いから」
 「わかった」
 引き戸が開けられると、何かがガラガラ鳴
った。
 「おお、びっくりした。これ、カラス脅し
か、何かかい」
 「用心のためよ。ここって、ちょっとひな
びてるでしょ。だから・・・」
 宇一はあたりがまるで漆黒の暗さのように
思え、不安がますますつのった。
 さっき見た店内があまりに明るかったせい
もある。
 それよりも、この裏庭自体がもともと持っ
ている秘密めいたものが、宇一を、そんな気
持ちにさせるのだろう。
 空をあおぐと、おぼろげな三日月が見えた。
 ふるさとで見る月と、ちょっと違うように
思える。
 ここは盆地。昼間暖められた空気がいつま
でもどんより漂っているらしい。
 (北関東じゃ、ほとんどからっ風だしな。高
い山脈を越えてくる空気だし、いつだって湿
度が低くてひんやりしてるから)
 眼を細くして宇一は、夜空をさぐった。
 ひとつ、ふたつと星がきらめいている。
 「もう、わたしがこうして待ってるのわか
んないの。早くしてよ」
 「うん。でもなあ」
 「なんなの。わたしが信じられないってい
うの。あんなにわたし、自分をさらけ出して
るのに。あなた、無視する気?」
 宇一はほんのつかの間たじろぎ、ゆかりが
何を言おうとしているか、考えた。
 「そうだよね。十二ひとえで追いかけて来
たよね。こわかったよ、おれ」
 宇一は思っていることを正直に言った。
 「あら、そんなことしなくてよ、わたし。
おかしなこと言わないでよ」
 そんなはずはない。確かにと、宇一は公園
での出来事を振り返ったが、ここでは彼女を
あまり追求できないと思った。
 裏庭で誰かがしゃべっているのに気づいた
のだろう。
 犬が吠えだした。
 「ジュン、大丈夫だから。吠えるんじゃな
いのよ」
 ゆかりが言うと、犬がすぐに吠えるのをや
めた。
 宇一が何かにつまずき、転びそうになった。
 「とび石があるの。言ってあげればよかっ
た。ケガしなかった?」
 「ちょっと、足のつめが。でも大丈夫。大
したこと、ない」
 すぐ前方になにか大きい象のような、黒々
とした生き物が地面にふせっているように思
え、宇一は歩くのやめた。
 「あっあれって、なんだね。なにか生き物
みたいだ」
 宇一は小声で言った。
 「どれ?そんなのどこにもないわよ」
 奇妙な家族なんだよ、みんなねと、某時計
屋の主人の言いくさが余韻となって、宇一の
こころの中で響いている。
 「ああ、あれね。離れなの。これから行く
ところ。大切なお客さまを接待するのよ。我
が家の家族の寝室もあるわよ。さっきの店わ
ね、二階建てになってて、従業員の部屋とか
があるの。なかには遠くから来てる人がいる
のよ」
 「へえ、おれって客あつかいされてるんだ。
用が済めば、すぐに帰るのに」
 「言ったでしょ。お茶くらいいれてあげる
からって」
 ゆかりはくぐもった声で言った。
 「ちょっと待ってて。部屋をかたずけてく
るから」
 どれくらい時間がたっただろう。
 ゆかりはなかなか現れないでいた。
 宇一はぽつねんとひとり、中庭にたたずみ、
これからどうしよう、いや、おれは一体どう
なるんだろうと思った。
 
 
 
  
 
 
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