令和3年1月28日(木)
お早うございます。
<1月28日今日は何の日>
1912年 - 白瀬南極探検隊が南緯80度05分に到達。その一帯を「大和雪原[やまとゆきはら]」と命名。
大和雪原(やまとゆきはら・やまとせつげん)は南極探検家・白瀬矗が命名した南極の地域名。
白瀬は1912年1月、開南丸にてロス棚氷に接近、クジラ湾近くの小さな湾(白瀬はこの湾を開南湾と命名)に停泊しそこから氷崖に上って本拠地を建設した。
1月20日、突進隊員4名(武田輝太郎学術部長、三井所清造衛生部長、山辺安之助、花守信吉)とともに南極点を目指し出発したが、それは果たせず1月28日に到達した南緯80度05分 西経156度37分が最も南の地点であった。
白瀬はその地点に日章旗を掲揚した。そこから見渡す限りの一帯を「大和雪原」(ヤマトユキハラ)と命名し、日本領とすることを宣言した。
白瀬南極遠征隊の旗
さて今日は、昭和30年11月25日付の広報がまごおりの記事を紹介いたします。
<三谷いでゆ小唄に就いて 観光係>
「三谷いでゆ小唄」
作詞 岸間 清閑
作曲 川崎 滝雄
振付 藤間 諒之助
一、三谷のお山に おつぼが三つ
一つのおつぼで 気もさらり
二つのおつぼで さらさらさらり
三つのおつぼで 道中じゃ道中じゃ
二、ここは星越 鎌倉街道
藤助宿は 馬宿で
馬はかいばで わしゃお湯の中
湯玉があがる 星のように星のように
三、関は千軒 三谷も千軒
出舟入舟 たけくらべ
お湯があるので こちらが上ぞ
西や東の旅の衆 旅の衆
お早うございます。
<1月28日今日は何の日>
1912年 - 白瀬南極探検隊が南緯80度05分に到達。その一帯を「大和雪原[やまとゆきはら]」と命名。
大和雪原(やまとゆきはら・やまとせつげん)は南極探検家・白瀬矗が命名した南極の地域名。
白瀬は1912年1月、開南丸にてロス棚氷に接近、クジラ湾近くの小さな湾(白瀬はこの湾を開南湾と命名)に停泊しそこから氷崖に上って本拠地を建設した。
1月20日、突進隊員4名(武田輝太郎学術部長、三井所清造衛生部長、山辺安之助、花守信吉)とともに南極点を目指し出発したが、それは果たせず1月28日に到達した南緯80度05分 西経156度37分が最も南の地点であった。
白瀬はその地点に日章旗を掲揚した。そこから見渡す限りの一帯を「大和雪原」(ヤマトユキハラ)と命名し、日本領とすることを宣言した。
白瀬南極遠征隊の旗
さて今日は、昭和30年11月25日付の広報がまごおりの記事を紹介いたします。
<三谷いでゆ小唄に就いて 観光係>
「三谷いでゆ小唄」
作詞 岸間 清閑
作曲 川崎 滝雄
振付 藤間 諒之助
一、三谷のお山に おつぼが三つ
一つのおつぼで 気もさらり
二つのおつぼで さらさらさらり
三つのおつぼで 道中じゃ道中じゃ
二、ここは星越 鎌倉街道
藤助宿は 馬宿で
馬はかいばで わしゃお湯の中
湯玉があがる 星のように星のように
三、関は千軒 三谷も千軒
出舟入舟 たけくらべ
お湯があるので こちらが上ぞ
西や東の旅の衆 旅の衆