Nasebanaru

アメリカで趣味と生活を綴る

お店のお客さんに感謝

2020-05-31 12:00:00 | アメリカで商売
全く今回の移動制限、外出制限には参りました。五月の最終日の今日はこれまでの2ヶ月に比べれば明るい兆しも見えてきたものの最初の数週間は街頭のない暗闇を手探りで歩くような、そんな感じでした。

私はこちらですしを提供できるカフェを経営しています。

約2ヶ月前の3月17日、州知事が外出の自粛を要請、その数日後全てのレストランは店内での食事の提供を禁止されます。デリバリーとテイクアウトはオッケーとのことで完全に閉店要請された理髪店などの業種に比べればまだましと言えるのでしょうが本当に営業できるからまだ「まし」なのか、それとももっと過酷な試練を突きつけられているのかその時は何とも言えませんでした。

「とにかく今やれることをやるしかない」

3月17日の火曜、、SNSなどをフル活用してまず即席でデリバリーを始めたことをお知らせします。ルールも素人なりに考えて最低注文数だとか宅配範囲、最終オーダーの時間などを決めました。それから数日は順調に注文数も増えていましたが同じ週の金曜日には州知事から今度は緊急事態宣言が出され、外出には罰則が課せられることに。

それでもレストランは営業は出来たのですが今度はたった4人しかいない従業員のうち二人が出社拒否。デリバリーは人手不足で無理に。

そこで次の日の朝、お客さんにはお店の前まで車で来てもらい、そこまで店から食事を持っていくサービス、こちらではカーブサイドピックアップと言うのですがその看板を作ってもらうため妻に5歳の娘を連れて早めにお店にきてもらいました。もちろんそのこともSNSを通して周知します。

この最初の週と次の1週間はまさに先ほど書いたような暗闇の中を進む状態で、日々聞こえてくるニュースは人々をますます怯えさせる内容がどんどん悪い方へ行ってるような状況でした。そんな時です。



「Toshi、どうだ調子は。レストラン業は今大変だよな。俺は一サラリーマンだから全部のレストランを応援できないがどこを応援するかと言えばお前のところだ。だから今日からこの状態が落ち着くまで外食はお前のところだけにするよ。それに全部現金払いだ、それくらいしか出来ないが頑張って乗り越えてくれ。」

彼の名はキース。2005年以来の常連さんで、彼はその言葉通り一週間に少なくとも2度、しかも自分の周りで働く人たちの注文まで持って来てくれました。



「Toshi、私はもうおばあちゃんでここであまり食事する機会も少なくて今出来ることと言えばこれしかないの、受け取ってちょうだい。」

80近いご老体の彼女の名はドーラ。ご主人がなくなる前はよく一緒に食事にきてくれていました。その彼女が500ドルの小切手をくれるというのです。

「ドーラ、本当に有り難いけど気持ちだけでいいよ。うちは幸い家族みんな元気で営業を続けさせてもらってるから。」

「そう、それならいいけどとにかくこれは置いていくわよ。頑張ってね。」

あのお金は結局後日営業が落ち着きかけたときにハンドサナタイザー(携帯消毒液)を業者に特注してお客さんに無料で配るときに使わせて頂きました。当時マスクと共に非常に入手困難だったからです。ドーラにも郵送しましたよ。大喜びで電話をして来てくれました。

はじめの1ヶ月は家族総出で営業を継続。大学生の娘がネットで授業を受けられるので自宅から通学できるようになりほぼ毎日手伝ってもらえたのには大助かり。それから高校生の息子も州立大学に合格したものの残りの授業が全部オンラインになったのと大学の費用を自分で少しでも捻出したいとの事で積極的に店に入ってもらえたのも吉。5歳の娘はお店に人が入ってこなくなったので店内でやりたい放題。それでもいつもニコニコしてくれていたのがせめてもの救い。



非常事態宣言からひと月を過ぎる頃には妻の奮闘でオンラインで注文を取れるようになりそれ以来去年の同時期を上回る売り上げを記録するようになります。新しく3人従業員に来てもらう事も出来ました。



あ、あと退役軍人のおじいちゃんの事も忘れちゃいけませんね。彼が毎朝手伝ってくれるおかげで被害が最小限に済みました。








当たり前の事ですが忘れがちな事。

やっぱり私はこの国の人たちのお陰で生活出来ている。



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