今日はアタクチのお誕生日だって。
お母しゃんが、オメデトウしてくれたの。
何だかよくわかんないけど、おいしいお肉があったの💗
お母しゃんが、「写真!」って叫んでいたけど、もうなくなっちゃった。
人間って、よくわかんないことがいっぱい。
でも、おいしいから許してあげる。
今日はアタクチのお誕生日だって。
お母しゃんが、オメデトウしてくれたの。
何だかよくわかんないけど、おいしいお肉があったの💗
お母しゃんが、「写真!」って叫んでいたけど、もうなくなっちゃった。
人間って、よくわかんないことがいっぱい。
でも、おいしいから許してあげる。
料理と言う程の手間暇もかからず手軽にできるのがゆで卵。食べるには、殻をむく必要がありますが、意外に、きれいにむけなかったりして、ネットで検索しても、「きれいに殻をむく方法」として色々な方法が出てきたりします。
よくあるのは、「ゆであがった後、流水で素早く冷やす」というもの。確かに、きれいにむける時もあるのですが、意外にうまくいかない確率も高かったりします。まぁ、私のやり方が下手なのかもしれませんが...。
で、最近、見つけた方法が、「冷蔵庫から取り出した卵を沸騰したお湯に入れてゆでる」という方法。ずっと、「卵をゆでる時は水から入れないと、割れる」と聞いていたので、沸騰したお湯にいきなり卵を入れるなんてとんでもないことと信じていたのですが...。
物は試しと思い、やってみると...。
鍋にお湯を沸騰させ、そこに卵を入れます。
特に割れたりはしないようです。
流水で冷やします。
スルッとむけます。
気持ちいい位、スルスル。
できあがり!!
最寄り駅はJRの館山駅。東口に出て、館山駅東口交差点を駅を背に左折。302号線に入り直進。交差点を右折し、次の信号を過ぎると左手にあります。
平安時代初期、国府近く(現在の南房総市府中)に安房国総社として創建されました。鎌倉時代に入ると総社信仰が衰微しましたが、源氏の影響で八幡神信仰が高まったため、総社から改変され八幡宮となり、現在地に遷座したと言われています。
1390年(康応2年)には、「安西八幡宮」の名称で資料に記載されています。
中世には里見氏、江戸時代には徳川幕府の崇敬を受け、社殿奉納や社領寄進を受けました。
1976年(昭和51年)に創建1000年を迎え、本殿の改修が行われ、鶴谷八幡宮と改称しました。
拝所の天井の「百態の龍」は館山市指定文化財となっています。
御朱印
2023年(令和5年)3月21日拝受
鶴谷八幡宮(つるがやはちまんぐう)
御祭神:品陀和気命(ほむだわけのみこと)[応神天皇]
帯中津彦命(たらしなかつひこのみこと)[仲哀天皇]
息長帯姫命(おきながたさしひめのみこと)[神功皇后]
御利益:子宝、子育て、安産、再起、再興など
近隣の駅:館山駅(JR)徒歩20分
御朱印ブームが本格的に始まったのは2013年頃からと言われているようです。このブログでも、御朱印の紹介をしていますが、私が御朱印巡りを始めたのは2016年1月から。
ただ、それ以前にも、1988年には、約1年をかけて西国三十三カ所札所巡りをしましたし、高校の修学旅行で京都と奈良を回った時にも、何カ所かのお寺で御朱印をいただきました。私の人生での初御朱印は、その修学旅行の時、1981年5月だったと思います。
修学旅行当時も、西国三十三箇所札所巡りの時も、神社仏閣で御朱印をいただくという行為は、観光の人々にとっては一般的な好意にはなっておらず、御朱印をいただく窓口が混んでいたような記憶もありません。
それが、本格的なブームがやって来て様変わり。従来、お寺の場合はお寺や御本尊の名称など、神社の場合は社名と日付が書かれ、寺社名の印が押されたシンプルなものばかりでしたが、ブーム以降は、季節の花や、時候を象徴するものが描かれたり、単に文字などを描くというだけでなく、切り絵になっていたりと凝ったデザインのものが出てきています。
本来、お寺に納経をした証として発行された御朱印なわけですが、それが、参拝の証となり、それ以上に旅の楽しみともなってきています。
それはそれで興味を惹かれるものですし、それなりの維持費がかかるであろうと思われる寺社の建物などを維持するための収入を得るための手段としても期待がかけられていたりもするのでしょうから、ある意味、お詣りする方にとっても、寺社にとっても、win-winなのでしょう。
あまり御朱印の種類が多すぎたりすると何だかなぁ...とも思いますが、その一方で、昔ながらのシンプルな御朱印だけだと、一種の清々しさが感じられますが、若干の寂しさもあったりして、少々、複雑な気持ちもあったります。
あちこちの神社仏閣を巡るようになって9年目に入ります。一時期、結構、広範囲の神社への月詣りを続けていたのですが、ここ数年は、徐々に数を絞ってきました。この先も徐々に近場の神社に絞っていくつもりです。
旅行したりして、神社やお寺を見つけたりしたら、その時は、お詣りし、御朱印をいただければいただきたいと思いますし、途中で中断状態になっている坂東三十三箇所札所巡りは再会したいですし、今後、秩父三十四箇所札所巡りはしたいので、しばらくは、御朱印巡りを継続していきたいと思いますが、ペースは落としていくことになると思います。
神社にしてもお寺にしても、信仰の場で、人々の祈りの場です。私が神社やお寺に惹かれるのは、そこが祈りの場であることが大きな要因なのではないかと思っています。多分、私は人が祈りを捧げる場の雰囲気が好きなのです。祈るという行為の背景には、世の中への希望と、自分の力の限界への自覚、どうしようもない遣る瀬無さがあるような気がします。自分の力ではどうしようもなく、それでも、何とかしたい、何とかしてくれる存在がいるに違いないという強い想い。
祈りは簡単には叶えらませんが、それでも祈らざるを得ないところに私たちは神や仏の存在を感じるのかもしれません。
ドキュメンタリー映画の製作などを手掛けてきた主人公は、で偶然、天皇を見かけます。幼いころから、自宅に掲げられていた天皇皇后の写真を見ながら育った主人公は、それをきっかけに天皇について想いを巡らせるようになります。そして、とあるテレビ番組の企画で、天皇・皇后の日常に迫るドキュメンタリーを作ろうとします。一旦は企画を承認したものの、右翼団体からの嫌がらせなどを怖れ、企画を潰そうとするテレビ局の上層部を含め、彼の企画に難色を示したり、彼を企画を諦めるよう迫る者も少なくない中、主人公は、天皇に直接会いその言葉を引き出そうと奮闘します。そして、ついに、企画実現の突破口を見出し...。
なかなか思い切った内容の本でした。決して"過激"だとは思えませんでしたが、本書内でも言及されている通り、"触れるべきでないタブーと思われているもの"に迫ろうとしています。もっとも、この内容の出版物のことが騒がれたり、"勇気ある行動"と見られること自体が、日本の言論の不自由さを炙り出しているとも言えます。
少なくとも現在の上皇・上皇后である平成の時代の天皇・皇后、そして、現在の天皇・皇后が、相当に優れた人物であることは間違いのないことのように思われます。勿論、互いに言葉を交わしたこともなく、それどころか、視線を合わせたことも、同じ空間に居合わせたこともないわけで、その人となりについて、直接、触れたこともない相手の人物像についてとやかく言えるものではありませんが、報道された映像や音声、様々な場面での言動などを見ている限り、非の打ち所のない人物のように思われます。
天皇制について疑念を抱く人でも、天皇・皇后、個々人の知性や人柄についてケチをつける余地は持てない者ではないでしょうか。
本書でも、天皇・皇后が素晴らしい人物であることと、天皇制というシステムの問題点を語ることが別問題であることについて言及されています。
本来、世襲によって引き継がれていく地位というものは、その地位に就く者の能力や人柄がどうであろうと問題なく機能していくシステムにならなければいけないのでしょう。世襲となれば、跡を継ぐ資格を持つ者に適性も能力も意欲もない可能性も低くないわけですから。そして、そうなると、必然的に、その人個人に大きな権力を持たせることは避ける必要があり、周囲がシステムを動かしていくことになります。
中心にいる人は純粋に国民のためを想って行動しようとしても、周囲を固める人物の中には忖度が働くようになるのでしょうし、中心にいる人物の意向とは違うところでシステムが動いていくことになるのでしょう。
本書では、天皇制というシステムの真っ只中に生まれてきた現在の上皇とその妻として長い年月を共にしてきた上皇后を扱っています。生活に様々な制限が加えられ、"国民の象徴"という具体的に何をどうすれば良いかよく分からない存在に祭り上げられ、言いたいことも言えず、常に誰かの視線を受ける存在。その2人の肉声を聞きたいという情熱の裏に、2人を強く恋い慕っているかのような情熱が感じられます。ある種、上皇・上皇后へのラブレターなのかもしれません。
私たちは、意識しているかどうかは別として、天皇・皇后という存在を便利に利用してしまっているのかもしれません。そして、本来、自分たちで解決しなければならない問題をその存在に押し付けてしまっているおかもしれません。
本書では、実際に起こった事件などについても描かれ、ドキュメンタリー的な雰囲気になっていますが、"カタシロ"とか"主人公と上皇・上皇后との交流"といったファンタジー要素も取り入れられ、フィクションであることを明確にしつつ、"上皇・上皇后の実像"に迫ろうという意欲もはっきりと示しています。その辺りのバランスが巧いと思います。
天皇の存在をアンタッチャブルなものにしてしまって本当にいいのか、それが、私たちが、そして、皇室の人々が幸せになる道なのか、問いかけられているような気もしました。
多分、上皇・上皇后は、本書を御存じなのではないか。そして、もしかしたら、読んでいらっしゃるのではないか。そんな妄想もしてしまいます。もし、本書を御存じだったとしたら、そして、読んでいらっしゃったとしたなら、感想を伺いたい...。そして、この社会がそんなことが可能な社会は、今より良い社会なはず。こんな妄想が実現する社会に生きてみたいものです。
現代書館公式サイト内
東久留米駅が最寄り。西口から出て、「まろにえ富士見通り」を直進し、最初の信号の次の角を右に曲がります。234号線と交わるところにある信号を渡り更に直進。大圓寺通りに出たら左折。そのまま直進し、黒目川を渡って更に直進すると右手に山門があります。
創建年代は不詳ですが、天長年間(824年~834年)に、慈覚大師円仁が創建したと伝えられます。明治維新後、小山村内にあった末寺等を合併しています。
東久留米七福神の恵比寿、福禄寿、寿老尊が奉られています。
恵比寿尊御朱印
福禄寿尊御朱印
寿老尊御朱印
2023年(令和5年)1月14日拝受
普門山 三皇院 大圓寺(だいえんじ)
宗旨:天台宗
本尊:毘沙門天
所在地:東京都東久留米市小山2-10-1
アクセス:東久留米駅(西武線)徒歩8分
天台宗東京教区っ公式サイト
最初にパイロット版が放送されたのが2008年12月。その翌年の2009年10月1日から2010年3月11日までレギュラー放送され、10月から翌年3月(2011年シーズンのみ11月から翌年4月)にレギュラー放送されるようになり、2012年4月5日の放送後は3年間の休止期間があり、2015年4月11日からレギュラー放送が再開されます。休止期間中の2013年に「笑っていいとも!」が終了したことから、地方ロケが行われるようになりました。そして、ついに、先日、3月9日に最終回の放送となりました。
取り上げられた場所は指宿。
特に最終回らしきこともなく始まり、そのまま最後まで。最終回らしきことはエンドロールの最後に花束を抱えたアシスタントのアナウンサーの姿が登場することくらい。
らしいといえばらしいような...。
この番組だけでなく、タモリは好きなので、タモリ倶楽部などもよく見ていましたし、古くは、やはりNHKで放送されていた「ばらえてぃ テレビファソラシド」も好きでした。もっとも「テレビファソラシド」は、永六輔が中心となっていた番組で、タモリの登場は途中から。ハナモゲラ語とかイグアナの物まねの時代でしたが、その後、レギュラーとして定着していきました。
「BIG3」のひとりとして、たけしと比較されることも多いタモリ。たけしも確かにスゴイとは思うのですが、あまりに「勉強している」「頑張っている」感が表面に出過ぎていて、見ていて疲れてしまう面もあります。その点、タモリは「努力」を感じさせないのです。ブラタモリを見ても、相当勉強していることは明らかなのですが、「頑張って勉強している」空気を感じさせず、「好きなことを楽しんでいる」という感じが前面に出ていて、気楽に純粋に楽しく観ることができます。
「ヘンにカッコつけず、頑張っている姿もそのまま見せる」のも一種のカッコ良さではあるのでしょうけれど、努力しているとか必死になっている部分を表に出さずサラッとこなしてしまうカッコ良さに惹かれます。
ブラタモリも、結構、学術的な面も持つ番組ではありましたが、肩ひじ張った感じが薄く、気楽に楽しく観ることができました。行ったことのあったり、日常的によく知っている場所の意外な魅力を知らされたり、地形や土地の成り立ちが、思いのほか私たちの生活に影響を与えていたり、番組を見て行ってみたい場所ができたり...。
「レギュラー放送は終了」ということなので、単発で、新しい番組が放送される可能性もあるということなのかもしれませんが、果たしてどうなるか...。巷でいわれている通り、タモリの意向からの終了ということであれば、先日の番組が本当の最終回の可能性も低くないような気もしますし...。
最近、長年親しんできたテレビ番組が終わることも多いような気がして寂しい面もあるのですが、テレビ放送を取り巻く環境も大きく変わる中、仕方のない面もあるのでしょう。まぁ、テレビ番組がどうこうということに関心を持つのも、私たちの世代までなのかもしれませんが...。
先日、中央高速道を山梨方面から東京方面に走る車から撮った富士山の写真です。走る車の中から、ガラス越しに撮った写真なので、あまりうまく撮れてはいませんが...。
もう随分前ですが、都内から甲府まで遠距離通勤していたことがあって、結構な移動距離と所要時間で負担は大きかったのですが、それでも、電車の窓から富士山が見られるスポットが数カ所あり、大きな富士山を見るとモチベーションがあがりました。
何度見ても、毎日見ても、見飽きることはありませんでした。
最近、これだけ大きな富士山を見るチャンスがあまりなかったので、久々の感動でした。
先日、諏訪大社四社にお詣りしたのですが、上社本宮をお詣りした後に、参道にあるお店で見つけたお菓子です。
某有名メーカーの「きのこ派かたけのこ派か」との論争(?)を巻き起こすあの有名なものではなく、そこはかとなく、その某有名メーカーのお菓子を思わせながら、特に関連はなさそうな別物です。まぁ、類似品と言いたくなるほどにも似てはいませんでしたが...。
12個入りの箱です。
個装になっていてお土産にもよいかと。高さ5cmと、某有名メーカーのものよりも大分大きいです。
箱の側面の栄養成分表示の横には、某有名メーカーの"相方(?)"商品を思わせるイラストが...。
あちらを意識しているのでしょうか...。
味は、まぁ、普通というか、特別に美味しいということもありませんでしたが、それなりに食べられるお味でした。可愛らしいフォルムで、個装されてもいるので、あまりありきたりになり過ぎないお土産としてはぴったりかもしれません。
長野県にある「株式会社はやし」の商品のようです。
株式会社はやし公式サイト
ギフトラボラトリー Gift-Laboratory|株式会社はやし (k-hayashi.jp)
東久留米駅が最寄り。西口から出て、「まろにえ富士見通り」を直進し、東久留米市役所方面に向かいます。東久留米市役所を通り過ぎて最初の信号を左折し南大沢通りに入ります。300m程直進すると左手にあります。
創建年代は不詳ですが、元仁年間(1224年~1225年)の天満宮別当梅本坊を起源とすると伝えられています。新編武蔵風土記稿には「開山貞和5年。本尊は不動木の立像、境内は古樹蒼鬱として古寺なること知るべし、本堂に向いて左に毘沙門堂がある」との記載があります。
1349年(貞和5年)に祐観上人が中興し、毘沙門天(多聞天)を本尊とし、寶塔山吉祥院多聞寺と改称したそうです。
境内観音堂の如意輪観音は武蔵野三十三観音霊場5番、多摩八十八ヶ所霊場37番とされています。また、本尊の毘沙門天は、東久留米七福神のひとつとなっています。
石神井公園の三宝寺の末寺です。
毘沙門天御朱印
2023年(令和5年)1月14日拝受
寶塔山 吉祥院 多聞寺(たもんじ)
宗旨:真言宗智山派
本尊:毘沙門天(多聞天)
所在地:東京都東久留米市本町4-13-16
アクセス:東久留米駅(西武線)徒歩14分