"稲荷"という名称から、神社だと思っていました。お参りしてみても、鳥居がたくさんあって、いかにも神社な雰囲気なのですが、でも...。摩利支天が祀られていたり、仏様も色々といらっしゃる...。

 

仏様と神様がひしめき合っていて、神仏習合を絵に描いたような不思議な光景が広がります。日本でも一番、神様、仏様密度が濃い神社仏閣かもしれません。

 

よく見てみると、貼り紙の説明に「~~~当山は~~~」。"当山"ってことは、お寺です。今更ながらですが、豊川稲荷東京別院は、愛知県豊川市にある豊川稲荷妙厳寺の唯一の直轄別院(飛び地境内)だそうです。

 

豊川稲荷の正式名は"宗教法人豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)"。山号は圓福山(えんぷくざん)となります。曹洞宗の寺院で、豊川枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)が本尊です。豊川枳尼眞天とは、昔、順徳天皇(じゅんとくてんのう)第三皇太子、寒巖禅師(かんがんぜんし)が感得した仏法守護神です。豊川枳尼眞天が稲穂を荷い、白い狐に跨っていることから"豐川稲荷"が通称として広まったそうです。

 

大岡越前守忠相が豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん)を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのが始まりです。大岡家では、三河時代から豊川稲荷を信仰していたといわれ、越前守の時に、江戸の下屋敷に吒枳尼天を勧請して祀ったといわれています。

 

その後、大岡家の下屋敷が赤坂一ツ木に移転となり、豊川稲荷も引き続き移転先の屋敷で祀られました。江戸では稲荷信仰が盛んであったため、大岡邸では毎月の"午の日"と22日には門を開けて、一般庶民の稲荷への参拝を許していたそうです。その後、1828年(文政11年)、信徒の要望により、妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の内、4分の1(約250坪)を借り受け、豊川稲荷の江戸参詣所を建立しました。これが、東京別院の創建とされています。江戸参詣所が設けられたことにより、一般信徒も毎日参拝できるようになり、今までの大岡邸の屋敷稲荷は"奥の院"とされました。

 

1876年(明治9年)、東京府は私有地で祀られる社堂への無許可での一般参拝を禁止する布達を出します。これにより東京参詣所も一般参拝ができなくなり、大岡邸の吒枳尼天の分霊は、豊川の妙厳寺本院へ還されました。しかし、2年後、府から許可が下り、一般参拝が再開されました。

 

1887年(明治20年)、大岡邸の一角では手狭になり、堂宇の新・増築も困難だったため、現在地(元赤坂一丁目)に遷座しました。

 

都心部の官公庁や企業の近代的なビルが建ち並ぶ周囲とは一味違った空気が感じられる空間です。

 

2016年(平成28年)5月11日拝受

 

 

豊川稲荷(とよかわいなり)[圓福山(えんぷくざん) 豐川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)] 東京別院
宗旨:曹洞宗

本尊:豊川吒枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)
所在地:東京都港区元赤坂1-4-7

アクセス:赤坂見附駅(東京メトロ)徒歩5分

      永田町駅(東京メトロ)徒歩5分

開門時間:5:00~19:00

寺務所受付時間:8:30~16:00

 

 

公式サイト

http://www.toyokawainari-tokyo.jp/