「フィギュアスケートは、ジャンプは、アメフトは」4月13日
『ぜいたくなの?母苦悩』という見出しの記事が掲載されました。『見えない貧困と格差』シリーズの「上」ということで、『スポーツから落ちこぼれる人々がいる(略)さまざまな理由で片隅に追いやられる。この国の現実を見つめる』記事です。
記事には、年収200万以下のシングルマザー渋谷氏が登場します。『渋谷さんは毎月2万円の会費を負担し、湊斗(息子)さんを地元のクラブチームに通わせる。貯金などを取り崩したほか、装飾品など身の回りのものを売り払い、ユニホーム代など工面した(略)思いきりサッカーをさせてあげたい。だが、周囲の理解は得られず、知人からは厳しい言葉を投げ掛けられる。「プロになれるレベルならいいが、シングルマザーなのに、そこまでお金をかける必要があるの?」』という状況です。
同じような境遇の家族が何組か登場した後、『サッカーに対する支援活動は、食料や教育など生活インフラと同じくらい必要』かという問いが提示されます。『EUでは、子供の貧困を測る指標の一つに「レジャー活動」という項目がある。欧州ではサッカーボールなどは生活必需品である、との社会的な合意がある』という専門家からの情報提供もなされます。
『スポーツをしたいと思うのはぜいたくなのか』、この問いに対して私は自信をもって答えることができません。貧困を理由に、スポーツを諦める。そのスポーツが好きだし、小さいころは一緒にボールを蹴っていた友人がチームのユニフォームを着て、新しいスパイクを穿いてボールを追いかけているのを眺めながら、「お母さんに負担をかけちゃいけない」と唇を噛み締めている子供の姿を想像すると、切なくなります。私自身、小学校の高学年のとき、友人の中でただ一人自転車をもっておらず、みんなが自転車で走る後を駆け足で追いかけていくという経験をしていました。私自身はそんなに気にしていなかったのですが、そうした息子の姿を見て母は辛かっただろうと思います。
一方で、スポーツをしたいという子供の願いにどこまでも応えるのか、と言われると、ちょっと待て、と思います。フィギュアスケートやスキーのジャンプ、アメフトやゴルフなど、カネのかかるスポーツがあります。東京に住む子供が、高梨沙羅氏に憧れてジャンプを始めるとすれば、シーズンの度に遠征しなければならないでしょう。渋野選手に憧れてゴルフに打ち込みたいという子供には、コーチのレッスン料や実際にラウンドする費用、クラブなどの購入費などサッカークラブ以上の費用が必要になるでしょう。どんなスポーツでも、上達していけばいくほど、大会参加費などが嵩むのは必然です。スポーツをしたいという子供の願いに対する支援に反対はしませんが、どこかで、線を引かなければならないでしょう。その「線」が分からないのです。
貧困が子供の成長に及ぼす影響は限りがありません。お肉と言えば豚小間という子供のたまには牛サーロインが食べたい、というのは贅沢ですよね?野球に打ち込んでいる少年が「最高のプレーが見たいから米国に行きたい」というのも贅沢ですよね?小学校の卒業記念に写真館で正装の写真を撮りたいというのは贅沢ではないのかな?混乱します。
学校は、大勢の同年齢の、そして同じ地域の子供たちが集まり、常にお互いを比べ合う場所です。服装、持ち物、遠足のときのお弁当、会話の中に出てくる休み中の家族旅行、あるときは劣等感を隠し、あるときは劣等感を感じる自分を一生懸命に働いている両親に対して申し訳ないと責め、やせ我慢をし、わざと友人関係を断ち切り、そうやって日々を生き抜いているのです。
貧困が子供に及ぼす影響について議論が進むことを願います。