ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

前科者はまたやる?

2020-07-03 08:09:11 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「前科者の処遇」6月27日
 『中企庁長官に処分歴』という見出しの記事が掲載されました。『経済産業省の前田泰宏・中小企業庁長官が、2012~14年の自動車課長在任中、大手自動車メーカー1社から繰り返し飲食接待を受けたとして内規に基づく処分を受けていた』ことが明らかになったと報じる記事です。
 前田氏といえば、『17年3月、公務で訪れた米テキサス州で、「前田ハウス」と名付けたシェアハウスでパーティーを開き、電通社員も参加していた』ことが問題視されている人物です。ちなみに、電通については、コロナ対策の一つ持続化給付金事業を巡って業務の再委託を受け問題になっています。
 記事は、『前田氏と利害関係者の距離の近さについて、改めて説明が求められそうだ』と結ばれていました。平たく言えば、以前業者との癒着が疑われるという「前科」がある前田氏だから今回も電通とズブズブの関係になるのではないか、と推測されるということでしょう。私もそう思っています。
 しかし、私のような下衆野郎が「前科者」だからという理由で他人を疑うのは、品性の下劣さを表しているだけのことですが、公器である全国紙が、あからさまには書かないものの、前科者だから今度も怪しいという趣旨の記事を掲載するのは問題があるように思います。
 「前科者」の扱いについては、教員でも問題になっています。女児に性的な行為をしたとして停職等の懲戒処分を受けた教員が停職期間を終え復職するケースがあります。そうした場合、保護者、特に女子児童の保護者は、そうした「前科」がある者が我が子の担任になったり、部活や委員会等で接触する機会があることに対して、強い拒否反応を示します。当然のことです。私が保護者でも同じように感じるでしょう。
 しかし一方で、罪を犯した者が、罪の償いを終え、新たなスタートを切ろうとするのを偏見と思い込みで妨げるのは、許されない行為であるということもまた、私たちの社会の常識となっています。特に学校という教育の場では、以前過ちを犯したからといって「あいつはまたやるぞ」と色眼鏡で見てはいけないと、子供にも教えているのですから。
 「○○君は、自分がしたことを悪かったと反省し、罰も受けたのだから、これからはまたみんなのクラスメートとして仲良くやっていきましょう」という教員はいても、「○○君は自分がしたことが悪かったと認めて罰も受けたけど、人間の本質は変わらないから、また何か問題を起こすに決まっているから注意しなさい」という教員はいないのです。
 性に関わる不祥事を起こして復職した教員を、残りの十数年か数十年、一切女子児童に接することのない職務につけるということは不可能です。もちろん、性に関わる不祥事を起こした教員は、一切の事情を考慮せずに懲戒免職処分とするという規則にしてしまえばこうした問題は発生しませんし、そうした方向で改正が行われてもいます。しかし、例外なく免職という規定は別の問題を生じさせるでしょう。私が教委勤務時に女子生徒からセクハラで追った得られた教員がいました。彼は部活の指導中に、気分が悪くなり蹲った女生徒に駆け寄り、背中から下着のホックを外し横にならせたという行為が問題になりました。確かに問題のある行動です。しかし、彼女の肌に触れたわけでもありませんし、大勢の生徒が見ている中でのことであり、何か性的な欲求をもたそうとする意図があったとは思えません。こんなケースで懲戒免職というのはいくらなんでも、とという気がします。丁度よい妥協点はどのあたりにあるのでしょうか。

 

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