ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

常識、感覚、価値観・・・、ではだめ

2019-10-16 08:28:39 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ブラック」10月8日
 『タトゥー「NO」に異論』という見出しの記事が掲載されました。開催中のラグビーワールドカップなどで訪日外国人が増えていることなどを受け、『海外では、ファッションや文化的な意味合いから「タトゥー」を入れる人が少なくないが、日本では「入れ墨」の反社会的なイメージが根強く、温泉やプールなどでタトゥーお断りの施設が少なくない。タトゥーについてこの機会にもう一度、考えてみたい』という趣旨の記事です。
 「タトゥー」問題については以前にも触れたことがあるので、再度触れることはしません。今回は、文化人類学をご専門とする都留文科大教授山本芳美氏の言葉にこだわってみました。山本氏は、『現状のタトゥーをめぐる入浴施設の受け入れについて、「中学や高校のブラック校則問題とよく似た構図」』と指摘し、『明確に禁止する根拠が乏しく、不条理なルールでも、卒業までの3年間はみな我慢しているのだからと考え、見た目だけで判断する人権無視が慣習化される』と語られています。
 ブラック校則は、明確に禁止する根拠が乏しい不条理なルールである、と定義していることになります。わざわざ「ブラック」校則と言っているのですから、ブラックではない校則は認めていらっしゃるのだと推測されます。規則なんてない方がいい、という考え方ではないということです。そして、ブラックか否かの判断基準は、明確に禁止する根拠の有無にあるということです。
 校則の決定権は、学校、つまり校長にあります。校長は、校則を定めるにあたり、明確な根拠を示さなければならないというわけです。例を挙げてみます。私は小学校籍だったので、小学校の「学校生活のきまり」で考えてみます。
 勉強に必要のないものは持ってこない、はどうでしょうか。休み時間にスマホでお気に入りの音楽を聴いてリラックスするのはいけないことでしょうか。むしろプラス面の方が大きいような気もします。では、学校にスマホを持ってきて休み時間に使うことは認めるべきで、禁止するのはブラックなのでしょうか。
 スマホの学校持ち込みについては、禁止から緊急時の安否確認等のために持たせるのは可に変わりつつあります。しかし、緊急時ではない日常の学校生活において子供が自由に使うことについては反対意見が強いようです。つまり子供のリラックス効果は、多くの学校で認められていないのです。
 授業中の使用はどうでしょうか。学校では分からない言葉、知らない用語が出てきたとき、辞書で調べるというのは良い学習習慣であると言われています。また、知らない地名や人名、つまり固有名詞が出てきたとき、地図等で調べるのも望ましい態度とされています。私もそう指導してきました。だったら、スマホで調べるのも好ましいことになります。でも、実際には、多くの学校で授業中の使用は禁じられたままです。
 こうした現状について、明確に禁止する根拠が欠けている、即ちブラックということになるのでしょうか。これがブラックだとすると、論理的な帰結はともかく、多くの人の常識的な感覚とは異なると思います。そのときの社会の構成員一般の感覚と異なっていても、明確な根拠に欠ける場合はブラックと考え、変えていくのが望ましい姿勢ということになるのでしょうか。
 私は、校則問題を考えるとき、その時代の世の中にある一般的な感覚というものも尊重すべきだと考えます。もちろん、多数派の価値観が少数派を圧迫するのは問題ですが、要は両者のバランスではないでしょうか。
 私は確固たる根拠を挙げることはできませんが(屁理屈はありますが)、小学生がピアスをし、化粧をし、マニュキュアやペディキュアをし、頭をモヒカン刈りにし、髪の毛を緑に染め、サングラスをかけて登校するという光景を認めたくないという思いがあります。こうした感覚を基にした校則は、排除されなければならないのでしょうか。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 柔らかな異議申し立て | トップ | 日本語で伝える »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事