ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

勉強を笑うな

2020-04-07 08:18:04 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ガリ勉もよい」4月3日
 『香川県ゲーム条例』を論点として3人の識者が語る特集記事が掲載されました。その中の一人、東京女子大現代教養学部教授橋元良明氏が『打ち込める目標設定が先』というタイトルで語っていらっしゃいました。橋元氏は、『様々な原因ゆえにゲームに逃避し、長時間触れた結果、依存状態に陥ってしまう』と指摘し、『学年が上がるとSNSやゲームに費やす時間は減る。受験という生活目標ができるからである』と述べていらっしゃいました。
 調査に基づいた指摘は説得力があります。私はこのブログで、いわゆる「受験勉強」について、一方的に非難する論調を批判してきました。大晦日、家族と離れ、頭に○○校合格!とか必勝とか書かれた鉢巻きをし、進学塾で勉強を続ける写真が掲載され、批判する記事に対して、疑問を呈する内容でした。
 甲子園を目指し一生懸命野球に没頭する若者は称賛され、同じように難関校突破を目指し一生懸命勉強する子供は「子供らしくない」と批判されるのは、偏った見方なのではないかという趣旨でした。
 またそこには、「腕白でもいい、たくましく育ってほしい」的な単純な子供観があり、自ら進んで勉強する何て子供らしくなく望ましくないという価値観が存在します。いささか飛躍していると言われるかもしれませんが、私は、こうした捉え方が、勉強軽視、努力軽視、まじめ軽視という風潮の土台となっていると考えているのです。そして、これらが今学校で起こっている、いじめや学級崩壊などの根本的な原因の一つであるとも、です。
 橋元氏は、受験現況の是非について論じているわけではありませんが、受験勉強であっても、目標を明確にし全力で取り組むという経験については、価値を認めているのです。そうした意味で、私は橋元氏の指摘に共感したのです。
 なお、受験勉強は×で、甲子園を目指すのは○という捉え方については、前者は親や世間の価値観を押し付けられた結果であり、後者は子供の自発的・自主的行動であるという論を耳にすることがあります。しかし、スポーツにしろ、芸能にしろ、親に勧められ、あるいは親に環境を整えられた結果、本人の意思とは無関係に取り組みが始まり、やがて子供自身がその面白さに気付いてのめり込んでいく、という例の方が多いはずです。それが広義の意味での教育ということなのですから。そうであるとすれば、スポーツも勉強も同じであるということができます。ただ単に、興味関心や意欲の向かった先が違うだけです。
 受験勉強もまた、一つの学びであり、貴重な人生経験となりうるということを否定してはなりません。もちろん、嫌で嫌でたまらないのに親が強制する受験勉強は望ましいものではありません。
 

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