ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

鈴木さんはよく知っている

2020-06-29 07:44:18 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「よくご存知」6月24日
 専門記者鈴木英生氏が、『遠隔化は大学の危機 授業の合間にある学び』という表題でコラムを書かれていました。その中で鈴木氏は、『キャンパスに学生が通う意味を、鈴木謙介関西学院大准教授(社会学)は、「裏のカリキュラム」という言葉で表す。授業(=表のカリキュアラム)だけが大学ではない。サークルや寮、研究室などの世代や興味の近い人間が出入りして長時間を過ごす場でもある。学生は、そこでの交流による学びという「裏のカリキュラム」も「履修」する』と述べていらっしゃいます。
 大学のことを述べていらっしゃいますが、小中学校にもあてはめることができそうです。休み時間の交流や清掃や給食時間を共に過ごすこと、登下校の時間などが「裏のカリキュラム」ということになるでしょうか。そうしたものが子供の成長に大きな影響を与えることは誰も否定しないでしょう。そして、そうした「裏のカリキュラム」の教育効果は、遠隔授業、オンライン授業ではで期待できないことも。
 だからこそ、従来型の対面授業の良さも再評価されるべき、というのは適切な指摘ですが、目新しいものではありません。そして私は、小中学校について言えば、「裏のカリキュラム」を軽視する考え方は、むしろオンライン授業、遠隔授業を推進する動機になるとさえ考えています。なぜならいじめ問題に代表される生活指導上の課題や学級経営における問題は、全て「裏のカリキュラム」において発生するからです。つまり、「裏のカリキュラム」がなければ、教員は純粋に「授業」の事だけを考えていればよいことになり、それは負担軽減につながっていくことが予想されるからです。
 私は教員の負担軽減を重視しています。それならば上記の理由でオンライン授業、遠隔授業に賛成かというとそうではありません。以前もこのブログに書きましたが、私はオンライン授業や遠隔授業については、懐疑派です。その理由については、鈴木氏のコラムのこの記述が的確に述べていてくれました。『学生は議論や質問だけではなく、私語や居眠り、サボりすら込みで、教員と対話してきた』『大学教育は、たとえば学生が90分間、マルクスについて聞こえる空間にぼんやりと身を置き、「そういえば、俺のバイト先でも…」と連想するようなことも含めたものだ』、というのがそれです。
 対面で授業を行う教室には、肌で感じるような雰囲気が存在します。白けであったり、無言の反発であったり、ため息のない落胆であったり、教員の理不尽さに対する怒りであったり、ときには子供集団から拒否されて教員への憐みであったり。鈴木氏が書くように、それらも子供と教員間の貴重なコミュニケーションなのです。そしてこうしたコミュニケーションの積み重ねが授業を適切な方向に進めていく上で重要な情報をもたらしてくれるのです。そこに真の学びの場が出現すると言っても言い過ぎではないと思います。
 また、子供がぼんやりと自分の個人的な経験の世界に入り込み、そこから他の子供の認知・思考の枠組みを刺激する発想や発見がもたらされるというのも、集団での学びの意義である、強みです。そうした「余裕」は、知識を効率的に教えることに傾きがちなオンライン授業、、遠隔授業では生じにくいのではないでしょうか。
 私は、居眠りや私語、ぼんやりなどを「裏のカリキュラム」に含めて、「裏のカリキュラム」の教育的価値を評価するという立場です。
 

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