ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

嫌いだけれど・・・

2020-06-30 07:54:37 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「本能が嫌う」6月24日
 写真家長島有里枝氏が、『自分のやり方で』という表題でコラムを書かれていました。その中で長島氏は、『連盟、連合、連名、連携、連帯…。「連」という漢字を使う言葉が苦手だ』と書かれていました。その理由として、『「連」はわたしにとって窮屈で、そこに括られそうになると俄然、気が滅入る。ハッシュタグによく使われる「繋がりたい」という言葉も苦手(略)みんな一緒に!というノリが、とにかくダメなのだ』とも綴られています。
 『自由を愛し、束縛を嫌うタイプ』とも言い切れないが、とにかく感覚的に拒否反応が出てしまうということのようです。私はこの記述を読んで、若い頃に同じ学年を組んだK教員のことを思い出しました。職員団体の熱心な活動家であったK氏は、卒業式の時期が近付くと、職員会議の場で「君が代反対、日の丸反対」を強硬に叫ぶのでした。私の勤務していた学校は「組合立学校」と言われるほどの拠点校でしたので、ほとんどの教員が同じような主張をしていました。
 しかし、K教員が他の教員と違っていたのは、日の丸(国旗という言葉は決して使わない)反対だけでなく、区旗や校旗も不要だと考えていることでした。区にしろ学校にしろ、何かの集団に忠誠を誓わせるような感覚があり、自由や自立という教育の理想に沿わないということのようでした。似ていると思ったのです。みんな一緒に!がダメという長島氏と。K教員は校旗を振っての応援なども苦手なようでした。
 さらに私はもう一人の教員のことも思い出しました。やはり職員団体の熱心な活動家であったI教員です。I教員は、運動会の入場行進などで、子供たちが手足を揃え、縦横の列を乱さずに歩く姿を見ると顔を顰めます。大きな集団の中で決められたルールに従わされている個人、というのを見るのが耐えがたいというのでした。
 一方で、整然と行進する姿を美しいと感じる感性の持ち主もいるわけです。私もどちらかというと後者のタイプです(北朝鮮の軍事パレードの行進には違和感を覚えますが)。K教員やI教員、おそらく理屈を超えた何か本能的な部分で「みんな一緒に」「みんなで一つに」に嫌悪感を抱くのでしょう。毛虫やムカデを嫌うように。でも、K教員も、I教員も、子供たちに向き合うときには、「みんなで~」が大好きだったのです。
 学校という集団教育の場では、個の自立と集団の規律の双方がバランスよく培われることが必要です。かつての学校は、個の自立を重視し反集団の思想をもつ教員集団が、実際には集団の規律に軸足を置く管理型教育をしてきたという皮肉な側面があります。
 「ハッシュタグ○○」が共感をもって迎えられている現在、集団に依存するのではなく、強い個が本当の連帯を生むという考え方を教育の根本に据える必要があります。長島氏は『自分も自分のやり方で連なりたい』とも書かれています。集団に埋没して流されることのない強い個として生きる決意表明として受け取るのは、穿ち過ぎでしょうか。

 

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