ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

適齢期

2019-12-06 08:25:07 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「適齢期」12月2日
 『今につながる好奇心』と題された、ノーベル化学賞受賞者吉野彰氏へのインタビュー記事が掲載されました。その中で吉野氏は、『人生の中で自分の力で何かをやることができる年齢は35歳くらいだと思う。成果を出せというわけではなく、あくまでもスタートという意味で。社会の仕組みもある程度わかって、そこそこの権限もついて、一発ここで何かやろうと(略)ノーベル賞を受賞した人が研究を始めた平均年齢も35歳前後だったと思う』と語っていらっしゃいます。
 ノーベル賞受賞者と比べるわけではありませんが、とても納得のいく話でした。私は35歳のときに、初めて授業をしない1年間を迎えました。校長の判断で、2人いる新規採用教員の指導担当となったのです。学級経営、授業はもちろん、教員としての姿勢や校務の処理、保護者との関係構築や突発的な事故への対応など、全てにわたって指導する立場になりました。同時に教務主任となり、企画会を運営して学校全体に目配りをするようになりました。
 吉野氏がおっしゃるとおり、教員経験13年、当該校で6年、学校や教員というものについてある程度分かり、主任としての権限ももつようになっていました。この1年間の経験は、教員としての自分を見直すことにもなりましたし、分かっていたつもりの学校や教員というものについて、一面的な見方をしていたことに気付かされもしました。
 そしてそうした経験を基に、私はさらに1年間現場を離れ、都の研究生として研究所で学びたいという思いを抱くようになり、校長に我が儘を言い、研究生の試験を受け合格することが出来ました。研究員をしているときに、担当主任指導主事の薫陶を受け、指導主事を目指す決意が固まり、指導主事主権を受けて合格、教育行政への一歩を踏み出したのです。
 私がたまたまそうだったというのではなく、私の周囲の教員も、30代半ばで新しい挑戦をしたり、重い役職を担ったりした人が、結局充実した教育者としての人生を送っているケースが多いのです。必ずしも教員としてという狭い範囲ではなく、大学での研究者の道に進んだ者や退職して教育関連のNPOを立ち上げた者まで、みなその時期に一つの転機を迎えているのです。
 もちろん、35歳という年齢で機械的に区切って何かをするというのではありませんが、若い教員のみなさんは、一つの目処としてその年齢を意識して教員としてのライフプランを立ててみてはどうでしょうか。また、教員を育てる管理職も、その時期に適切な方向性を与える示唆が行えるよう心がけて欲しいものです。

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