新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月17日 その2 厚労省が過去の経験に学んでいない訳

2020-02-17 15:33:16 | コラム
官僚は2年毎に異動するから:

今朝ほどのテレ朝の番組「羽鳥モーニングショー」だったか(記憶に自信はないが)で、COVID-19に対する処置が後手後手に回っていることに関して誰だったかが「厚生労働省の官僚は過去のSARSやMERSの経験から学んでいなかったのか」と極めて普通な疑問を呈した。すると、その場にいた山口真由ニューヨーク州弁護士が「官僚は概ね2年毎に異動するので、SARSの経験に学んでいた者は現在では担当していない」と指摘した。今更感心するほどのことはない事だが「なるほど、そー言えばそうだ」と思って聞いていた。


このように我が国の企業の組織では中央官庁のように短期間で異動はしないが、常に多くの部門間で人事異動が行われているようだ。私はこの点が我が国の企業の文化であり、アメリカ人には「我が国ではジェネラリストのスペシャリストを養成しているのであって、アメリかでは考えられないような人事が当たり前のように行われている」と説明して置いたものだった。例を挙げれば、ある時、紙パック容器加工工場の現場の課長に営繕の課長から異動してこられて「宜しく」と挨拶され、我が方の技術サービスマネージャーは返す言葉を思いつかなかった。アメリカ人には夢にも考えられない人事異動だったのだから。

この人事異動の件を何処からか伝え聞いておられた北欧系の競争相手の企業の邦人の部長氏(後に副社長にまで昇進)が「日本の企業ではそういう我々の国では到底考えられないような人事を平気で実行している。それでいて、何ら現場と第一線に支障を来していない辺りに、日本的経営の力を感じる。我々は現実的にそういう素人との戦いで屡々負けているのだから情けない」と長嘆息されたことがあった。「誠にご尤も」と同意を表明した。

私が経験した限りのアメリカの製造業にあっては、営繕担当のマネージャーがある日突然一躍工場の製造担当マネージャーに転じてくるような人事はあり得ないと思う。アメリかでは文化が違う、イヤ違い過ぎる。私自身が経験してきたことで、私はW社で同じ事業部の日本駐在マネージャーとして19年間勤務し、その面でのスペシャリストとして存在価値が問われていた。即ち、スペシャリストであって、その担当分野においてジェネラリストとして、如何なる問題にも対処できなければならなかったのだった。

それは、私は法律的に言えば(我が国では外国資本の会社には色々と縛りがある)「販売促進担当であって、市場の拡張に努め、得意先との信頼関係を確立する」等々と「職務内容記述書」に記載されているが、現実にはそれだけやっていては間に合わず、技術的な面でも得意先の要望にも応えねばならず、品質問題(ほぼクレームの解決と言って良いだろう)にも対応できるように、ジェネラルに対応できねばならなかった。その意味ではスペシャリストだったと思う。故に、私は他の事業部に異動するなととは夢にも考えていなかった。その意味では技術サービスマネージャーも同じように考えていただろうと思う。

しかも、これまでに繰り返して述べてきたことで、事業本部長は部内の全てを指揮・管轄しているのであり「人事権」も掌握しているのだから、折角部内で各人が担当分野をキチンと運営している時に、何も誰かを異動させて最初から勉強し直しなどというような人事をすることは、先ず考えていないと言って誤りではないと思う。私にはこのようなアメリカ式専門職が性に合っていたようで、非常に働きやすかった。換言すれば、アメリカ式の文化に馴染みやすかったのだろう。それに「人事部」などがないのも有り難く、働きやすかった。

話をここで中央官庁の組織と人事異動に戻せば、担当者はそこには常にその任務に就いてからの期間が短く、前任者乃至はそのまた前の担当者の経験に学ぶ機会がそれほどなかったので、今回のように後手後手に回ってしまったのだろうと決めつけることにした。それだけではなく、厚労省の大臣は秀才だったのだろうが、この分野の経験などない大蔵省の出身とあっては、あの対応でも止むを得ないなどと言って慰めている場合ではないと思う。この辺りの安倍総理の人事の不手際を、野党どもに成り代わって非難しておきたい。

お断りしておくと、私は日本とアメリカの企業社会の文化の何れが優れているかとの比較論をしたことは一度もない。ただ「違うのだから、優劣を論ずべきではない」と言ってきただけだ。




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