新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

私の英語勉強法

2019-06-24 15:49:59 | コラム
K君へ;

昨日一寸だけ語り合った「私の英語の勉強法」の最新版を更に改訂したものを送ります。一寸長いのですが、辛抱して読み切って下さい。

(1)音読・暗記・暗唱以外に重要なこと:
私の記憶では昭和20年(1945年)4月に湘南中学で当時は未だ敵性語だった英語の授業で先ず教えられたことは「アルファベットの各文字の発音の仕方というか読み方」だった。即ち、簡単な例を挙げれば”a“は「ア」と発音し、”w”は口の端を横に伸ばして「ウ」というという具合だった。その時に既に“l”と“r”との微妙な違いも教えられてのだが、そう簡単には習得できるものではなかった生徒が多かったと記憶する。“v”は本来「ヴィー」と読むのであると教えられたが、恐らくこれを「ブイ」以外の読み方をしている日本人は極めて希だと思っている。

この英語の学習の第一歩で既に混乱が生じていたようで、多くの生徒たちは後に出会う「ローマ字」の影響をも受けて“a”は「ア」とだけ、“o”は「オ」とだけ発音する英語の発音になって行ってしまうのである。私の組の英語を担当された先生は意外にもアメリカ人との混血で、綺麗なアメリカ語の発音をしておられたので、多くの生徒たちは容易についていけなかったようだった。私はこの辺りの出発点でどういう発音をする先生に教えられたかで、将来の発音の正確さと良し悪しが大きく左右されると思っている。

実際の英語の世界に入ってみると何時かは解ることだが、アメリカ語に特に屡々見られる現象で“a”を素直に「ア」と発音しない例が多過ぎるのだ。定冠詞の“a”にしたところで、かなり多くのアメリカ人は「エイ」と言うのだ。即ち、That was a big surprise.の“a”は「エイ」となって「エイ・ビッグ・サプライズ」と聞こえるという具合だ。実は、かく申す私も「エイ」派に属することにしてある。しかし、これなどは未だお手柔らかな方で、UKのロンドンの一部の訛りやオーストラリアの英語では“a”は「アイ」となってしまうのである。

その例は私がこれまでに何度も採り上げた“I came here today.”が「アイ・カイム・ヒア・トウダイ」となってしまうのが極端な訛りだが、サッカー界の貴公子と我が国で持て囃したDavid Beckhamは自ら「ダイヴィッド・ベッカム」と名乗っている。なお、こういう“a”の発音の仕方はニュージーランドでもごく普通になっている。であるからこそ、私はnative speakerに英語を教えて貰うか、英語教師として招聘する場合には十分な注意が必要であるというのだ。そういう根拠は「アメリカに行けば南部訛りもあれば、東海岸の一部の地域ではQueen’s Englishのような発音をしている」のであるから。

話を元のアルファベットに戻せば、26字それぞれに正統的な発音の他に例外的な発音がある事もあることをもチャンと教えておくべきだということ。だが、それを小学校の児童に教えるのか、中学であらためて教えるのか、どの時点で正当なUK風(=Queen’s English)とアメリカ語と、オーストラリアやニュージーランドという国別の違いを教えるべきかという問題に撞着すると思う。その他に注意すべきはインドにはヒンドゥー語独特の抑揚があるし、東南アジアの諸国にもそれぞれのアクセントと抑揚があるのだ。

私の結論を言ってしまえば「同盟国であるアメリカ式を取るべし」なのだが、それもどの地区を標準にするかと言えば「西海岸」と主張する。

だが、最大の問題点と思うことは、教える側が「どれがどの国の発音であるか、訛りであるか」をキチンと識別できる能力を備えていなければならないという点だ。そうでもないと、折角招聘したnative speakerがアメリカの南部訛りや、「アイ・カイム・ヒア・トウダイ」系統だったらどう対処するかという問題が生じるのだ。私はこの問題以外に既にトランプ大統領の“I’m gonna ~.であるとか、”I wanna ~.“はお薦めしないと指摘してある。これは基礎を固めるのを優先すべきだということと同時に「品格」の問題にもなるのだとご承知置き願いたい。

(2)英語の学び方を語る:

音読・暗記・暗唱:
私は我が国の英語教育では「答えは一つである」というような数学の問題の解答にも似た教え方をするので、常に絶対的に正しいと思う表現なり話し方なりを選ぼうとしてしまうのだと見てきた。

この非常に厳格な縛りの中で「科学としての英語」を数学のように教えて試験の採点をして、尚且つ5段階で査定していくのが我が国の学校教育における英語の教え方であるのだから、「英語とは窮屈なものだ。解りにくいものだ」という嫌悪感が発生したのも無理はないと思っている。しかも、その行く手にはTOEIC(日本製でありながらアメリカからの輸入品を装っている)だのTOEFLなどが待っているのだから始末が悪い。

私は中学生の頃に何の理屈も理論的な裏付けなとなく、そういう勉強の仕方や教えられ方を避けて、学校で何を教えられようと関係なく自分勝手に最も楽な勉強の仕方であった「音読・暗記・暗唱」だけを続けてきた。その勝手なやり方でも何故か正しい言い方と表現を記憶できたし、表現の小引き出しが学校で教えられるやり方に真面目についていった者たちよりも増えていたという結果を生んでいたのだった。

念の為に確認しておけば、音読・暗記・暗唱の他には「単語帳も単語カードも一切作らない」、「教科書でも何でも知らない単語に出会ったらその都度辞書を引いて意味を理解しようとした」、「教科書には一切書き込みをしない」、「英文和訳をして理解しようとはしない」、「英作文というか、英語では何と言うかを、知っている限りの単語を記憶の小引き出しから取りだして書いてみる」を実践していた。

その結果としては、旧制中学から大学の教養課程までの間に、英語の試験で90点を切ったのが2回しかなかったというところに到達していたのだった。更に、高校1年の頃にはアメリカ人たちの中に入っても意思の疎通で何ら問題を感じたことがなかったほど、“I know how to express myself well enough.”(「自分が思っていることを如何にして表現するかを心得ている」であり、これはI can speak English.とは次元が違う言い方だと認識していて良いだろう)と言っても良い次元にも達していた。

勿論、その間には大学受験を控えて佐々木高政氏の名作「英文構成法」で英作文の勉強を懸命にしていたのだった。この本で学んだことの効果は絶大で、W社の東京事務所の副社長補佐だった日系人でワシントン大学のMBAであるJ氏には有り難いことに「英文を書く基本は出来ている」と認めて貰えたのだった。

私は偉そうに「音読・暗記・暗唱」を推薦し「単語カード」だの「単語帳」だの、「英文和訳」だの「英作文」等々の勉強をしなかったというが、そこには何の理論的根拠はなかったのだ。正直に言えば「そんな面倒な事をしなくても英語だけは良い点数が取れた」というだけのことで、楽な勉強法だった。言うなれば真面目に勉強していないと言われても反論出来ないかも知れない「手抜き」で「ずぼら」だったとでもなるだろう。

即ち、チャンと英語を指導要綱に従って教えておられた先生方から見れば、不真面目な生徒だったにも拘わらず、気が付けば高校の頃には「文法の達人」とも周囲にも認められるようにもなっていたのだった。そのような次元に達したのが、偶然だったのか、その「ずぼら」な勉強法が良かったのかなどは未だに不明だが、それでも当時の湘南中学(高校)に無数にいた東大に楽々と進学した秀才たちと、英語だけは何とかついていける成績を残せたのだった。

しかし、大学に入って私などは到底及ばない凄い英語力を持った同級生に出会って、恐る恐る高校までの英語の勉強法を尋ねてみれば、何と私と全く同じだったのには感動した。彼は私とは違って全科目に優れていたので、3年になった時に大学の推薦で同じイエズス会系のアメリカの大学に留学に出て行った。ではあっても、私の勉強法が必ずしも誤りではなかったことが立証されたので、大いに意を強くしたのだった。

私には彼とも他の学生とも違っていた英語の勉強法に違いがあったことは認めておかねばなるまい。それは終戦後直ぐからGHQの日系人の秘書の方に「英語だけで考える事」と「英語だけで考えて英語を話す事」を言わば強制されたことが大きな力になっていたと言える点だろう。

私は大学の卒業を目の前にして「英語で仕事をする会社にだけは行きたくない」と固く心に決めていた。それは英語と日本語との違いを知っていただけに、仕事の面で英語を使う事がどれほど余計な負担になるだろうかと考えたからだった。また、新卒で採用して頂いた会社に勤務している間には、一度たりともアメリカの会社に転進することなど考えたことなどなかった。それが偶然の積み重ねで17年もお世話になった会社を離れて39歳にして現実のことになってしまったのだった。

断言したいことは、転進は英語が出来るからではなく「紙パルプ業界における私の能力が評価されたから」と確信している。念の為に確認しておけば「アメリカの会社に入ってしまえば、英語が出来るなどということは、何ら評価の対象にはならないのである」という点だ。

(3)英語の不規則さを心得ておこう:
既に触れたが、アルファベットの“a”の読み方一つを採り上げても、我が国に生まれ育って学校教育だけで英語を教えらえた方々にとっては、その不規則さには呆れるか驚くか解らなくなってしまうかの何れだろうと思う。要するに、ローマ字式やカタカナ英語にしてしまった読み方乃至は発音は、本家本元の英語とは似ても似つかないものになっているということ。とは言ったが、ここにはUKのLondon cockneyやオーストラリアとニュージーランド独特の訛りは含まれていないと思って頂いて良いだろう。

即ち、英語という言葉は至る所に「不規則さ」があって、動詞のように規則動詞よりも不規則動詞の方が多いという現象すら生じているのだ。ここで一寸脱線するが、不規則動詞は“irregular verb”とされているのだが、これは勿論“regular”の反対語として出来たものだと思う。そこを真似たのか、我が国の野球用語には「イレギュラー・バウンド」というのがある。私に言わせれば「では、規則正しいバウンドというのがあるのか」なのだが、アメリかではぶっきらぼうに“bad hop”と言われているようだ。あちらの中継放送で「イレギュラー・バウンド」という表現があったのを聞いた記憶がない。

話を戻そう。“a”の読み方(または発音でも良いか)の不規則さの例を挙げてみよう。先ずは我が国独特の開発商品の如きローマ字読みはそのままというか、我が国で通用している読み方はされないということ。例えば、青木功という初めてアメリカのトーナメントで優勝したプロゴルファーは、勿論“Isao Aoki”と表記されていた。だが、アメリカには「エイオキ」という名字のプロゴルファーしか存在していなかった。私は寡聞にして“Isao”がどう読まれたか確認していないが、どう考えても「アイサオ」となるしかないと思っている。

“A”という字が入る人名がどう読まれるかと言えば、先ず「ア」となることは極めて希で、殆どの場合「エイ」にされてしまうのである。だから、テニス界の新女王・大坂なおみ(Naomi Osaka)さんはちゃんと「ネイオミ・オサカ」にされていた。私の名字の「前田」もこちらから「マエダ」と読んでくれと予め通告しない限り、「メイダ」か「メイエダ」なることがあった。難儀なことなのである。

英語本来の発音でも単なる「ア」となっている例よりも発音記号で aとeをくっつけたような「エア」にも似た読み方になっている例が多い。例えば“cat”を「カット」とは言わず「キャット」言うし、カタカナ語では「カジュアル」にされてしまった“casual”は「キャジュアル」に近いのが本当の発音である。一寸捻った例だが、“caterpillar”だって「カタピラー」とはなっておらずに「キャタピラー」だし、何故かカタカナ語でも「キャタピラー」となっている。

カタカナ語に「カオス」というのがあって、これは“chaos”のことだと思うが、この読み方は「ケイアス」とする方が原語に近いと思う。以前にも採り上げた「パトリオット」も先人は“patriot”という綴りを見てローマ字式に「パトリオット」にしてしまったようだが、言語は「ペイトウリアット」が近いと思う発音だ。従って「パトリオティズム」というのも、カタカナ語の分類にするしかないのだ。

私はこういう英語の不規則性を無視したのか、あるいは知らなかったのか知らないが、ローマ字読み方等でカタカナ語を作って定着させてしまったことを、学校教育の何処かの時点でハッキリと教えて、私の持論でもある「こういう読み方や発音の仕方は通用しないことがあるから要注意と認識させておく必要がある」とあらためて主張したいのである。外国人の中には察しの良い人もいて、カタカナ語でもローマ字読み方でも「多分こういうことを言いたいのだろう」と理解されることも偶にはあるが、経験的には「???」となっていた例が多かったのである。

ここまででは年来の主張である「カタカナ語排斥論」を展開していると思われそうだが、狙いはそこにはない。言いたいことは「長い年月の学校教育における至らなさがあるから、我が国独特のカタカナ語が出来てしまったのだ」という点であり、何時まで経っても一向に進歩しない英語教育に対する改革論のほんの一頁のつもりなのである。



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