お休み前のBLOG。

息抜きの海外旅行にも行けず、特急ひたちで東京と浜通りを行き来する平凡な日々を描くブログです。

「新しい日常」の夏休み Day4(1)常紋峠を越えて

2020-09-12 | たび

 今日は石北本線に乗って札幌を目指す。石北線にはもちろん乗ったこともあるのだが、あまり昼間の印象がなく、明るい時間帯に乗ることにしたのだった。ホテルをお染めにチェックアウト。10時半頃の特別快速「きたみ」に乗る。

 改札口でボーッと待っていると、小学生の団体。どうやら社会科見学で駅を見に来たようだった。改札口の前で集合し、駅員にクラス代表が質問していた。

 改札が始まってホームへ。今日も単行の気動車。

 行き先表示。この列車は右側に向かって走り出すはずだが、何故か左側が旭川。入れ間違えたのかと思ったのだが、遠軽で進行方向が変わるのだった。

 駅舎側のホームには回送列車。白地にコーポレートカラーのライトグリーン、そして北海道らしいラベンダー色。なかなかいい配色だと思うのだけれどねぇ。

 北見市内を地下で抜けるというローカル線らしからぬ風景を過ぎると、畑のど真ん中。そこにカラフルなシートを掛けられたプラカゴが無数に並んでいる。

 留辺蘂まではほぼ各駅停車。とはいえ、乗り降りする人はほとんどいない。留辺蘂の一駅手前は相内駅。愛のない駅らしい。そういえば、平成の大合併で留辺蘂町も北見市になって、カーリングの旧常呂町も含めると大雪山からオホーツク海までを含んだ広い都市になった。

 ここまで並行していた国道39号は層雲峡を超えて上川へ、列車は北に曲がって常紋峠を超えて遠軽、そこから湧別川をさかのぼって上川に向かう。

 駅で買ってきたおにぎりをいただく。

 客扱いが廃止されてしまった金華駅(現在は信号場)。広い構内は貨物列車のため。札幌を早朝に発ったオホーツク1号がやってきた。

 ハイデッカーグリーン車込みではあるがわずか4両編成。なんだか寂しい。

 ここからは常紋峠を目指す。北海道開拓時代に開かれた線路で、急カーブと急勾配で列車は来る理想に進んでゆく。

 常紋信号場跡に差し掛かる。ここはかなり大きなスイッチバックで、SL時代には有名な撮影地だったとのこと。

 そして常紋トンネル。ここは北海道開拓時代にタコ部屋労働で建設されたと言われている。そういえば、その実態を明らかにした小池喜孝著『常紋トンネル―北辺に斃れたタコ労働者の碑』を買って読んだことがあったはずだが、どこにやったかな。過酷な労働でなくなったり、人柱にされたりと相当悲惨だったらしい。

 涙雨、というわけではないだろうが雨の中列車は峠を超える。安国駅は林業の町で駅舎に木のおもちゃ館が入っていた。

 そして、湧別川を渡って遠軽駅に到着。10分停車。

 以前は左側にも線路が伸びていて、中湧別で乗り換えれば網走へも紋別、名寄へも行けたのにねぇ。

 昔ながらの看板。

 ここで方向転換。席をパタンとひっくり返す。これで行き先表示と方向が合った。

 まもなく発車時刻。



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